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あるキング

伊坂さん初の試みであろう、
ある人物の0歳から23歳までを追った、
疑似伝記な小説です。

その人物とは、山田王求。
もちろん架空の人物です。

彼は、地元の弱小球団である仙醍キングスの大ファンである両親の元に生まれました。
ちなみに、仙醍キングスとは仙台のもじりだと思いますが、
今回は、このように地名の漢字がもじって出てきます。
東卿ジャイアンツとか、名伍屋とか。

仙醍キングスは、負けて当たり前の常敗球団で、
チーム創立以来、一度も日本一になったことがなく、リーグ優勝すらも経験していない。
それどころか、ほとんど最下位なのです。
ただ、それでもファンはいる、そんな球団でした。

しかし、そんな球団であっても、名を残した選手がいました。
南雲慎平太。
仙醍市生まれの彼は、野球の才能に恵まれた、いわゆるエリートとしての人生を送っていた。
少年野球の頃から注目を浴び、高校、大学野球でも見事な成績を残し、
プロでも活躍が見込まれたが、ドラフト会議でのくじ引きで仙醍キングスへの入団が決まった。
南雲慎平太のような優れたバッターがいたところで、
仙醍キングスには宝の持ち腐れであるし、実際その通り、優勝を経験することはなかった。

南雲慎平太がFA権を取得した時、大半の人間が、彼は移籍するものだと思った。
ところが彼はFA宣言をせず、引退まで仙醍キングスに在籍し、主力打者として活躍した。
そして引退後も、しばらくすると監督として仙醍キングスに戻ってきた。

王求の母、山田桐子は、そんな南雲慎平太の逸話を知っている。
彼女が小学生の頃、長期入院をしている同級生がいた。
病名は教えてもらっていなかったものの、桐子は仲の良いその同級生のことをよく見舞い、
授業のノートを貸し、学校での出来事を伝えた。
ある時、その同級生がベッドで、晴れやかな顔をしている日があって、
理由を尋ねてみると、それまで南雲選手が訪れていたという。
彼女は入院中に、南雲選手に何通もファンレターを送っていたそうで、
それが叶ったかたちのようだ。
そこで南雲慎平太は去り際、「次の試合でホームランを打つから、君も手術を頑張るんだよ」
と約束した。いわゆる「予告ホームラン」というやつですね。

実際、南雲慎平太はホームランを打った。
しかも、三打席連続ホームランだった。
桐子はその試合のことを大人になっても覚えていて、
10年以上が経って結婚することになった山田亮にそのことを話すと感激し、
仙醍キングスのファンであることを誇りに思った。

監督就任から5年、南雲慎平太は辞任することになった。
最終戦の対戦相手は、東卿ジャイアンツ。
すでにリーグ優勝を決め、日本一へのシリーズ戦に照準を合わせている東卿ジャイアンツと、
最下位の仙醍キングスの試合なのだから、
ここでの勝敗がお互いの成績に重大な影響を与えることはない。
むしろ、南雲慎平太監督最後の試合とも言えるこの最終戦は、
仙醍キングスに花を持たせるのが道理でしょう。
しかし、そんな紳士協定のようなものは全く通用せず、
東卿ジャイアンツが猛攻していた。
その場面の描写として、南雲監督の表情をとらえており、
「口を若干尖らせた、その表情は、なくのを我慢する子供にしか見えない」という表現が、
何とも言えない惨めさや寂寥感を誘い、野球がよくわからない私を同情させたほど。

そんな状況の中、山田桐子は臨月を迎えていた、
テレビで試合を観戦している中、破水をし、病院へ向かう。
病院でも二人はテレビで試合を見ていたが、
やがて山田桐子は分娩室へ向かい、残った山田亮が一人で試合を見つめていた。

試合の最終局面で、仙醍キングス側のベンチに、打球が飛んだ。
バッターの振り遅れたバットが、打球を横に飛ばし、ファウルボールとなったのだ。
ボールはまっすぐ、南雲監督に向かった。
幸いなことにぶつかることはなかったが、それに驚いた南雲監督は体勢を崩し、
綺麗に転び、頭をベンチの端にぶつけた。
実はこの時のことがキッカケで、試合後ホテルに戻ってから、南雲監督は亡くなってしまう。
試合は9回表で、スコアは15対1と大差をつけられていた。
そして、試合結果はもうわかっているというように、
試合終了までを放送することなく、放送時間終了で中継はぶつ切りされた。

こんな仙醍キングスファンにとっては屈辱的と言える状況の中、
山田王求は生まれてきた。
ここまでの屈辱の描き方が本当に凄まじく絶望的で、一気に惹き込まれますよね。
それもこれも、「フェアはファウル」という、
死ぬ人間がいれば、誕生する人間もいるということを伝えたいがため。

「Fair is foul, and foul ia fair」とはシェイクスピアの戯曲「マクベス」で、
冒頭で現れた3人の魔女が言う台詞。
フェアはファウル、ファウルはフェア。
日本だと、「きれいは汚い」「良いは悪い」とか、「光と闇」と訳されることもあるようです。
要するに、「良い」と見えるものでも、魔女からすれば、「悪い」かもしれず、
その反対に、「悪い」ことが、魔女には「良い」ことかもしれない。
物事は見方によって変わる、そういう意味だと山田亮は解釈していました。
これがこの作品のテーマのようなもので、これからの王求の人生につきまとうものとなります。

「マクベス」は南雲慎平太の愛読書で、山田夫妻も繰り返し読んでいたそうですが、
私も読まなくては!!と思いました(笑)

そんな熱狂的な仙醍キングスファンの両親から生まれた王求。
「王求」という名前をつけたのは、父親の方でした。
母親は、「将来この子は仙醍キングスで活躍をする男になるのだから、
王という感じがつかないのはおかしい」と発言したところ、
父親が、「それならば、将来、キングスに求められる存在なのだから、
王に求められる、と書いて、王求はどうだろう」と賛同した。
ただ、奇蹟的なのはこのあと。
出生届に記入してみたところ、王求と横書きで書いた瞬間、
その文字の並びが、「球」という漢字を横に間延びさせたようにも見えることを発見した。
このブログも横書きなので、王求と書き続けていると、段々「球」の変形に見えてきますね。

かくして、これから王求の野球漬けの人生が始まります。
だけど、それは決して順風満帆なものではありませんでした。
それこそ、「マクベス」のように。
3人の魔女が登場したりと、「マクベス」をかたどって進んでいきます。

たくさんあるエピソードの中、印象的だったのは、3歳になった王求が、
父親に連れられて戦隊ヒーロー物のショーを見かけた時のこと。
味方のヒーローがおされている時に、お姉さんが、
「さあ、みんなで応援するよ。せえので、頑張れーって声をかけるよ」
って、あるあるな展開だと思います。

そんな中、王求の父親はこう語る。
「頑張れ、というのは、もともと、我を張れ、ってところから来ているんだ。
我を張り通す。『我を張れ』が変化して、『がんばれ』だ。
自分の考えを押し通せ!ってことかもな」
なるほど。
これが、後の野球のシーンにも関わってくるのですが、感動的でした!


この作品、連載時⇒単行本⇒文庫本となる際に、かなり改稿されているのです。
それが後ほど「完全版」として出版され、それらを読み比べることができるのですが、
「マクベス」との絡ませ方が全く違うのが興味深いです。

また、構成の話をすると、王求の年齢ごとに章立てしているのですが、
その章ごとに語り手が変わります。
その語り手を推察するのも面白い。

個人的には、「十歳」の章で、語り手のクラスメイトがキュリー夫人の伝記を読み、
キュリー夫人の子供の頃の話が載っていて、
そこに、キュリー夫人が何を思ったのかが書いてあることに驚いた、ということに共感しました。
私も幼い頃に同じ疑問をもって、誰か大人に聞いたんじゃなかったかな。
大人になってから偉くなったはずなのに、何で子供の時の心情が、わかるんだろう?って。
そう思ってたのが私だけじゃなくて安心しました。

疑似伝記でありながら、「マクベス」の要素も入った、何とも新感覚な小説。
不思議な力にどんどん惹き込まれていきますよ。



あるキング (徳間文庫)

あるキング (徳間文庫)

  • 作者: 伊坂幸太郎
  • 出版社/メーカー: 徳間書店
  • 発売日: 2014/02/28
  • メディア: Kindle版


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