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新世紀エヴァンゲリオン  13

エヴァにはアニメや劇場版で、いろんなエンディングパターンがあるのですが、
コミック版は前巻で旧劇場版のストーリーを辿る模様と思っていました。
となると、アスカが一方的に残酷な仕打ちにあってしまうのですが、
コミック版ではそうならなかった!
なんとシンジが助けに入るのです。それがカッコイイ!!
コミック版のシンジはちゃんと成長していたんですね。
どうやら、旧劇場版とはまた違うストーリーを辿る模様です。

ただ、やはりサードインパクトは始まってしまう。
ここからは旧劇場版「まごころを君に」と同じ展開ではあるのですが、
果たしてシンジは、どんな未来を選択するか、
それによってこの先の展開が変わってきます。

この辺りの展開は精神世界を描いていて
「まごころを君に」の時は、あまりにも抽象的な描写過ぎて、
ちょっとついていけない部分がありました。
でも、その後、新劇場版などもあって、やっと何を描こうとしていたのか、
理解が追い付けたような気がします。

ここからは、シンジが人類にどんな決断を下すのか、
その判断基準となり得る、シンジの心の中が描かれます。
アニメや新旧の劇場版など、過去のどのメディアでも描かれなかったシンジの記憶。
シンジ自身が記憶を封じ込めていたこともありますが、
今回描かれた描写は、わりと多くの人に伝わりやすい内容ではないかと思います。

それをもとに、最終的にシンジがどう判断し、未来に何を望むのか。
旧劇場版のシンジだと、うーん…と思ってしまうのですが、
コミック版のシンジはちょっと期待できるかも?
いよいよ次巻、コミック版も完結です!!



新世紀エヴァンゲリオン(13) (角川コミックス・エース)

新世紀エヴァンゲリオン(13) (角川コミックス・エース)

  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2012/11/02
  • メディア: Kindle版



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SOSの猿

初めに前置きになりますが、
この作品は、五十嵐大介さんの漫画「SARU」と対になる作品です。
が、私は伊坂さんの小説の方しか読んでないので、
至らないところがあるかもしれませんが、ご容赦ください。

構成としては、ザックリ言うと、
遠藤二郎が主人公の話と、五十嵐真が主人公の話があり、
各パートで交互に語られていって最後には交わるというものなんですが、
そうも綺麗に行かないところもあったり。
微妙に伏線回収されなかったり、肩透かしをくらって、モヤモヤが残るのです。
伊坂作品といえば、最後に全部が繋がって爽快な読了感を得られるというのが特徴だったのですが、
この頃の伊坂作品は、わりとモヤッとします。
その部分の詳細はここでは語らないのですが、
それでも、各エピソードの要素には、個人的にワクワクするものが詰まっていました!


まずは、遠藤二郎側の話。
遠藤二郎は家電量販店の店員で、エアコンを売っている。
が、副業で「訪問カウンセラー」=エクソシストのようなことをやっている。
そんな遠藤に、「辺見のお姉さん」から連絡があって、
息子についての相談を持ち掛けられた。

辺見のお姉さんとは、遠藤よりも一回り年上で、
子供の頃には憧れの異性の代表だった、
いわゆる近所のお姉さん的存在ですね。
その辺見のお姉さんは、遠藤が中学生の時に結婚して町を出て行ったのですが、
それから22年、辺見のお姉さんの息子がひきこもりになっていた。

辺見のお姉さんの息子、眞人は、半年くらい前までは
月2回くらいのカウンセリングに通っていたのだが、
眞人から急に「ここに通っても意味ない」と言われ、それきりになってしまったという。

一応、心理学をかじった人間として、
「ひきこもり」というワードには目を背けずにはいられないのですが、
それよりも興味を引いたのが、「エクソシスト」。
私が勉強したときも出てきたのですが、
悪魔祓いとカウンセリングは、紙一重なところがあります。
カウンセリング、というか精神分析ですかね。

日本では「エクソシスト」と名乗る人はそういないですが、
遠藤は本場イタリアで学んできました。
そのきっかけは本当にひょんなことで、
絵画の勉強の留学で行ったはずが、何故か悪魔祓いをやっている神父、
ロレンツォに引き合わされる。
実際に悪魔祓いの現場について行きながら、自ずと学んでいった。

ただ、遠藤自身も、「悪魔」の存在には懐疑的なところがあった。
そもそも「悪魔」とはキリスト教信者には馴染みがあって、
日本では受け入れがたいかと思うのですが、
「狐」憑きのほうが馴染みがあるのかもしれない。
狐憑きも悪魔憑きもたぶん同じで、どちらも人間に憑いて、悪さをする。
意味不明な言動の原因が、狐や悪魔であるという理屈。
一番分かりやすいのは、「魔が差した」という表現で、「悪魔が自分を唆した」という感じ。

だけど、実際に悪魔が憑いているかどうかはわからない。
その真理としては、極めて概念なもので、
人間のやる愚かな行為が、悪魔の仕業であるほうが救いがある。
不可解な行動や言動について、原因や理由が分かるからだ。
例えばひきこもりであれば、「母親の教育」や「子供の性格」「家族の愛情」の問題であったとしても。
「悪魔の仕業だ」「悪魔が憑いていたから」だと分かれば、気が楽になる。
ちょうど、とある宗教の問題で、同じようなことが取りざたされていると思いますが、
要は、何も解決策になっていない。
都合の良いように納得させているだけであって、現実の問題には何も目を向けていない。
宗教にはそういう一面があり、心理学やカウンセリングとの違いはそこにあるんだと思うのですが、
そう考えると、とても恐ろしいと思う。

遠藤は日本に帰ってからも、悪魔祓いを続けて人々を救うことを勧められる。
ロレンツォ曰く、遠藤は困っている人を呼び寄せる体質だそうで、
本人も誰かが困っていると、「どうにかしてあげなければ」と強い感覚に囚われることを自覚している。
そういえば、心理学に興味を持つ人というのは2種類いると言われたことを思い出しました。
ひとつは遠藤のように誰かを救いたいと思う人。
カウンセラーに向いてるのがこっちのタイプですね。
もうひとつは「自分の心はなぜこう思うのだろう?」と考えるタイプ。
こちらは、トラウマなど、何かしら心に傷を負ってることが多いのです。
私はどちらかというと後者のタイプで、ある時そのことに気づいたときに、
カウンセラーなど心理学を使った職業に就くことを断念しました。

とにかく遠藤は、人からSOSを受信すると、いてもたってもいられなくなる。
カウンセラーに必須な資質だと思います。


では、もう一人の主人公、五十嵐真の話。
こちらのパートは「猿の話」となっていて、突然、謎の語り手に変わります。
ところどころ西遊記が混ざったりして、なんとも不思議な因果関係の話。
これの種明かしはされるのですが、ここでは触れません。

ここでは、五十嵐真はシステム開発の会社に勤めている。
品質管理の部署に所属し、自社開発のシステムでバグや不具合を起こしたりすると、
その因果関係を調べる仕事をしている。
因果関係を調べるプロセスというのは、社会人としても興味があるところですよね。

菩薩証券(胡散臭い名前…)で株の誤発注事件が起こり、
五十嵐真の会社のシステムを使っていたため、原因を探ることになった。
相手先の牛魔王にたとえられた部長から話を聞いたり、
誤発注を起こした張本人と面談をしていくうちに、とある事件にたどり着く。
五十嵐真が面談をすると、何故か最後にネクタイが鉢巻上に頭に巻かれている、
という不思議なことも起きていた。


これだけ並べると、この二つのストーリーがどうやって繋がるのか?と思うんですが、
ちゃんと繋がるのです。

キーポイントになるのは、やはり西遊記。
孫悟空がヒーローのように思えてくるのですが、
私も西遊記の全てをちゃんと読んだことはなくて、
読んだらスカッとするだろうなぁ。

もう一つこの作品を読み解くカギとなるのが精神分析。それもユング。
一応、臨床系の心理学ゼミだったので、精神分析の講義はあったのですが、
そもそも私が理屈っぽいところがあって、
ユングの文献研究してもなかなかハラオチしなかったのです。
だけど、この作品読んだら、すんなり受け入れられた!

ちなみに遠藤二郎は、どうやら相手の心象が、映像として見えるようです。
そんな能力があったら、もはやカウンセリングや精神分析の天才だよ。
本業にしないのがもったいない(笑)


「西遊記」と「エクソシスト」を掛け合わせようと持ち掛けたのは、
漫画家の五十嵐氏側のアイディアだったようですよ。
登場人物の「五十嵐真」という苗字には、何か関係があるのかしら??

ふたつの物語それぞれが違うアプローチをしながらも因果関係を探っていく。
それらが繋がっていく、それこそがまた因果関係でもあるのですが。
こういう因果関係とか物事の本質を分析するのが好きな私には、
向いている話だと思いました。



SOSの猿 (中公文庫)

SOSの猿 (中公文庫)

  • 作者: 伊坂幸太郎
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2013/01/11
  • メディア: Kindle版


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