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ホタルノヒカリ 12

前巻から突然現れたミニスカ女、葵。
彼女は夫に先立たれ、一人娘を育てるシングルマザーですが、
その亡くなった旦那さんが、部長の学生時代からの親友だった!!
部長と家を取られるのではないか、と思った蛍は、
葵のことを「女狐」として警戒する。

何でもテキパキとこなす葵は、蛍のスキを容赦なくついてくる。
「子供」も「亡くなった友人の放っておけない妻」という立場も、
彼女の持てる武器として、それはもう鮮やかなやり方で。
そうやって欲しいものは何でも手に入れてきた。
言わば、蛍とは目的意識が違うという。

それはそうと、いつになく敵対意識を持つ蛍。
普通なら他人のことなんて気にしないのにね。
それは猫が自分のなわばりに他の猫を入れたくないのと
似たような感覚なのかな?とも思ったけど、それだけじゃないいよね…。
私も部長と蛍の間には誰も入ってほしくない。
だって部長と蛍の水入らず(?)の出張なんか、
二人にしか出せない雰囲気だったよ。
久々にいつもの蛍と部長が見られて、何故かほっとしました。

恋人でもなく、家族でもない、この関係。
かといって、もはやただの上司と部下でもない、
名付けようのない関係。
葵はそんなのズルイ!って言い放った。
そして真っ向から勝負を挑んだわけだけど、その結果は…!?
ここには書きませんが、思わずキュンとしちゃったよ。

また、葵は娘の父親が欲しくて、部長に近づいた。
そんなこと、部長にはバレバレだった。
無理してふっきったりしなくてもいい。
娘は父親が欲しかったわけではない。
母だけでも十分なのに。

えてしてそんなもんですよね。
母親が思うほど、子供は父親を望んでない。
むしろ望んでいるのは、母親自身だったりする。
だけど、この娘すみれは、3歳児とは思えないオマセさんでして。
自分を犠牲にしてでも母親の幸せを願っていたという。
葵みたいに「こうじゃなきゃ!」って意識があるお母さんであるほど、
子供は自己犠牲になる傾向が高くなる気がする。
誰が教えたわけじゃないけど察するんだよね。母親の張り詰めた空気を。

ガチガチの目標かかげて生きていくよりも、
蛍みたいにある程度のユルさを持っていた方が、
生きやすいと思うよ、なんてね。

さて、葵の件も落着しますが、蛍がついに…!?
ここからテンションあがっちゃいますが、続きはまた次巻。



ホタル ノ ヒカリ(12) (KC KISS)

ホタル ノ ヒカリ(12) (KC KISS)

  • 作者: ひうら さとる
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2008/09/12
  • メディア: コミック


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魔王

とある兄弟の、勇気の物語。
「魔王」と「呼吸」という、対となる2編の物語から構成されています。
どちらも現代社会ととてもよく似た背景となっていて、
状況を把握しやすく、考えさせられる内容でした。


魔王

主人公の安藤は、安藤は、とっても考えすぎな性格なのです。
学生時代から、ちょっとしたことでもすぐに考察したがる。
心の中の口癖は「考えろ考えろマクガイバー」と言うほど。
マクガイバーというのは「冒険野郎マクガイバー」のことで、
実際の海外ドラマで放送されていたそうですね。
マクガイバーは、身近な物を武器にして戦う。
その主人公がよく困難医ぶつかると、自分に言い聞かせる台詞でした。
考察ばかりしてるのは、私も同じかもしれないけどね。

そんな安藤は、ある日とても奇妙な力を手に入れる。
それは超能力と呼べるものではないのかもしれないが。

安藤が乗る電車にたまたま乗り合わせた老人。
手すりにつかまって危なげに立っていたのだが、
誰から席を譲られることもなく、
あろうことか近くの席が空いたところ、若者に座られてしまった。
すると老人がいきなり、威勢の良い台詞を吐いた。
それはまさに、安藤が想像した通りの台詞だった。

これは偶然ではないのか。
だけど、同じことがまた起きる。
それは、安藤の会社で、古株の先輩の平田さんが課長に怒鳴られている時だった。
今まではそんなことなかったのだが、
その時は平田さんが課長に反撃の言葉を浴びせた。
それもまさに、安藤が想像した通りの言葉だった。

こうなると、さすがに偶然では片付けられない。
安藤はこの力を「腹話術」と名付け、
いろんな条件で考察することに。

その結果、腹話術を成功させるには、
喋らせる相手の姿を見る必要があるらしく、
距離については、安藤の歩幅で30歩程度の距離が腹話術の有効範囲のようだ。
人間以外の動物には、言葉を喋らせることができない以上、検証不可能だった。
また、喋らせるだけでなく、心の中で口ずさんだ歌を歌わせることもできるらしい。
ただし、テレビ画面越しには相手を喋らせることができない。

実質、10年以上前の作品なのですが、
「衆議院解散!」とか「憲法改正!」なんて叫ばれていて、
まるで今の社会をうつしているのかと思いました。
とはいえ、この作品は、決して政治についてとやかく言うものではなく、
現代社会とよく似た社会観を表現するためのツールに過ぎないのですが。
あまりにも今の現実の社会と酷似していて、まるで予言かと思ったくらい。
それはきっと、10年以上も前から、現実社会が行き詰っていることを意味しているのではないかと。
ちょうどその頃は、総理大臣がコロコロ変わる時代で、
誰がリーダーやっても変わらない、なんて思ってた。
今もそうなのかもしれない。

でも、この作品には、ヒーロー然としたリーダーが現れる。
まだ野党である「未来党」の党首の犬養。
39歳の若さだが、威勢のいい発言をするなど、
「この人ならどうにかしてくれそうだ!」と、
多くの国民が期待していた。
ところが、安藤は犬養をムッソリーニに似ている、という。
そこから日本がまたファシズムに向かっていくのかもしれない、
と危惧している。

ファシズムとは、ざっくり言うと「統一していること」。
だけれども、行き過ぎた整列や統制は、時に気味が悪い。
たとえばスイカの種並び。綺麗に整列してたら鳥肌が立つ。
すべての意思がある方向に統一されるのは、あまりにも不自然だ。

それは、ロックバンドのライブに集まる聴衆に対しても、同じ感覚を味わうことができる。
それが、群集心理のおぞましさ。。
人が殺人を実行するのに一番多い要因は「命令されたから」。
そしてその命令を実行することに、集団がサポートする。
集団は罪の意識を軽くする。

たかが、スイカの種並びやライブの聴衆から、
どうしてそこまで考える!?と思ってしまうのですが、
それが安藤なのです。

確かに現代人は、テレビやインターネットから得られる情報を眺め、
ただ漫然と生きている。
その情報はもはや、真実か嘘かなんて知ろうともしない。
それは、かつての日本人が、
「何もかもアメリカが悪い」と毛嫌いしていたのと同じではないか。
現にこの作品でもそんな批判的な風潮が広まり、
帰化申請して日本人となったアンダーソンの家が放火されるなんて、
悲しい事件も起きた。
それても健気に生きてる彼には好感というより尊敬の念がわいた。

「でたらめでもいいから、自分の考えを信じて、対決していけば」
そうすれば、世界は変わる。
大事なのは世界が変わるかどうかなんかじゃなく、
それくらいの意気込みで生きていくこと。

安藤は手にした(?)腹話術の力を使って、大きな流れに精一杯あがこうとする。
しかし、そういう力には副作用というか代償がつきもの。
果たして…?

そういえばドゥーチェのマスターが出したカクテルが「グラスホッパー」だった。
伊坂作品のファンなら、同名の小説を真っ先に思い出すでしょう。
これは偶然なのでしょうか。
トノサマバッタは密集したところで育つと「群衆相」と呼ばれるタイプになる。
人間も同じではないか?
そんなマスターは、群衆が好きだと言った。
人間に限らず、大勢が集まって、行動を起こすというのに惹かれるらしい。

他作品との重要なリンクは他にもあって、
安藤の会社のパソコンが壊れ、修理を依頼した男が、
資材管理部の千葉という者だった。
〇〇部の千葉っていえば、伊坂作品の読者ならすぐわかるはず!
「死神の精度」の千葉だ!!ということは…!?
と、千葉の登場で、不穏になりながら読み進めました。

それから、安藤が同僚の満智子さんと一緒に飲んだ居酒屋の「天々」。
この店名にも聞き覚えがあるなと思っていたら、やっぱり別作品に出てきてました!
「チルドレン」で家裁調査官の陣内が、人事異動が決まった後輩の武藤を、
「行きたい店がある」と言って連れて行った。
そのお店には、「アキラ君」という、陣内が担当していた少年がバイトしていた店だ。
まぁ、安藤曰く全国チェーンのお店だそうなので、
全く同じ店舗とは限らないですがね。

ところで、犬養が愛読しているだと公言する宮沢賢治の作品。
多くの作品が引用されているのですが、詩も多く残していたりするのです。
まぁ「雨ニモ負ケズ」はあまりにも有名ですが、そういう牧歌的なものではなく、
もっと未来にビジョンを持ったような、思想的なものもあって、
そんな詞が引用されていました。
この圧倒的な言葉のエネルギーには惹き付けられる。
以前、別の作品ですが、声優の桑島法子さんが朗読されているのを聞いたことがあり、
宮沢賢治の言葉に惹きこまれた感覚を思い出しました。
それにしても、「注文の多い料理店」をファシズムと結びつける安藤の発想には驚きました。
宮沢賢治、じっくり読んでみたいな。


呼吸
兄が亡くなってから5年後、弟の潤也が主人公。
語り手は潤也と結婚した詩織になります。

潤也は兄とはまるで正反対で、考えない。
だけど、記憶力と直感の鋭さは、兄より遥かに上だと、生前の兄が認めたほど。
兄は、こうも言っていた。
潤也はよく弱音を吐くけど、それは心配ない。
強がって頑固な人ほど、何かのきっかけで倒れてしまうから、
潤也みたいに弱音を吐く方が強いと思う。
この感じ、何だかすごくよくわかる。
そういう意味で、兄は潤也に一目置いていた。
「魔王」は潤也ではないか?

潤也の両親は、兄弟が幼い頃に交通事故でいっぺんに亡くしていた。
それ以来、兄弟で支え合って生きてきたので、兄の死はさぞかしこたえたでしょう。
案の定、潤也は弱音をたくさん吐いた。
でも今はどうにか立ち直っている。

兄の死から5年、潤也と詩織が結婚してから3年になるが、
二人は東京を離れ、仙台で暮らしていた。
潤也が言い出したことではあるが、一応、潤也の仕事の関係でってことになるのかな。
何の仕事かというと、「環境に関する調査」。

兄の死後から二人やあらゆるメディアの情報から目を逸らし、耳を塞いで、
それがきっかけでテレビも新聞もネットも見なくなった。
だから、政治がどうなっているのかも知らない。
あれから未来党は躍進し、犬養は首相となっていた。
そして、憲法改正に関する国民投票が来月行われる。

私も政治に関心があるとはとても言い難いのですが、
投票にも数えるほどしか行ったことがない。
それは、誰を選んだらよいかわからないから。
それを潤也の兄は、「若者が国に誇りを持てないのは、大人が醜いからだ」と考察した。
テレビで流れる嘘だとか、くだらない答弁だとかを聞いてると、確かにねって思ったり。
そんなことより、家のこととか、仕事のこととか、
目の前の自分の問題でいっぱいいっぱいだよ。
「世界とか環境とか大きいことを悩んだり、憂慮する人は、
よっぽど暇で余裕のある人なのかもしれない。」
とは、詩織の職場の同僚の蜜代の台詞ですが、
その中で「小説家とか…余裕があるから、偉そうなことを考える」なんて、
伊坂さんなりの自虐ネタで、クスッとしました。

この作品、政治の話とか興味のない人には、むしろ苦痛になるかもしれない。
だけど、骨子はそこではないので、そんなに堅苦しく読む必要はないのです。

テレビを見なくなった二人は、本を読んで過ごすことにした。
食卓に向かい合って、潤也の兄が残していったたくさんの本を読む。
この情報社会であり得ないことかもしれないけど、
何だかこういうのすごくいいなぁって思ってしまった。

さて、潤也には兄の腹話術のようなことはできなかったが、
別の力?がありました。

兄が亡くなってから、潤也の運が良くなり始めた。
特にじゃんけんに至っては、詩織に一度も負けたことがない。
潤也曰く、相手が何を出すか予知できるわけでなく、
出したいものを出すと勝ってしまうらしい。
投げたコインの裏表を当てるのも同様。

そこで、どれくらいついているのか実験するため、
競馬場に行くことにした。
すると、最初の第二レースは外したものの、
第三レースから単勝を買うと、第八レースまで当たり続けた。

潤也たちは儲けるためにやったわけではないが、
単勝でもこつこつと稼いでいけば大金になる。
そこで、潤也は兄のこんな話を思い出した。
紙を25回くらい折り畳んでいくと、富士山くらいの厚みになるらしい。
実際に折り畳むのは物理的に難しいけど、計算上はそうなるらしい。
計算弱いので試していないですが、倍々にどんどん増えていく怖さを悟った。
この「倍々に増えていく怖さ」というのは、
「魔王」で語られていた「群衆の恐ろしさ」にもつながるものじゃないかと思われる。

ところで、潤也の仕事である環境調査とは、具体的には「猛禽類の定点調査」。
例えば、山を削るような大きな道路工事をするようなときに、
そこに棲む野生動物にどれくらい影響を与えるのか、調査をする。
何時間も待ちぼうけになったりして大変さはあるだろうけど、
この現代社会で、空をぼうっと眺めていられる仕事は、ある意味うらやましいなぁと思った。
それは、政治とか事件とか関係なく、平和な時間なんだな、って思える。

ムッソリーニの最後は、恋人のクラレッタと一緒に銃殺されて、
死体は広場に晒されたらしい。
群衆がその死体に唾を吐いたり、叩いたりしているうちに、
死体が逆さに吊るされると、クラレッタのスカートがめくれてしまった。
大喜びする群衆の中、一人、スカートがめくれないようにしてあげた人がいたらしい。
実話かどうかはわからないけど。
潤也たちはそういう人間になれるのかもしれない。
「大きな洪水は止められなくても、その中でも大事なことは忘れないような人間」。
これは、潤也の兄が生前願っていたことなんじゃないか、と。

兄は逃げなかった。逃げずに対決した。
それは、勇気のなせる業だ。
そのための何が力になるかはわからないけど。
お金なんかはそのわかりやすい例かもしれない。
確かに、お金があれば、自分のやりたいことができる。
お金は勇気すら買えるのかもしれない、とすら思ってしまう。

すぐ弱音を吐いてしまう潤也から、こんな勇ましい言葉が出るとは。
いや、もともとしぶとさを持ち合わせていたのかもしれない。

最後に、私の一番お気に入りのエピソードを抜粋。
潤也はごきぶりのことを「せせらぎ」と優しい音の名前で呼ぶことにしている。
それは、ごきぶりが嫌われるのは名前が良くないという、潤也の理屈から。
こんな言霊みたいなことで、ごきぶりに立ち向かえるのかな、って思うのですが、
これもある種の勇気で、言葉は勇気に与える力ですよね。


この作品の難しいのは、
群衆の怖さを訴えていた安藤が亡くなってしまったり、
詩織が国民投票で〇を書いて投票したり、
今までの勧善懲悪の伊坂作品の読者にとってはモヤモヤが残り、
困惑するポイントだったかと思います。
かく言う私も若干そうなのかも。
でも最後には潤也と詩織のブレの無さが、ほっとさせてくれました。
今までと違う読了感を味わいたい方は是非。



魔王 (講談社文庫)

魔王 (講談社文庫)

  • 作者: 伊坂 幸太郎
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2008/09/12
  • メディア: 文庫


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タグ:伊坂幸太郎
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