大奥 6
この巻は晩年の綱吉について。
綱吉はもはや世継ぎを産めない身体になっていましたが、
毎夜、若い男と寝所を共にしていました。
でも、もう世継ぎが望めないことは、幕閣にも知れていること。
時期将軍は、甲府宰相である徳川綱豊か、紀州藩主の徳川綱教かで、割れていた。
その理由は、綱吉の父である桂昌院。
血筋からしたら、綱吉の姪である綱豊の方が将軍には近いのだが、
桂昌院から見たら綱豊は、かつて大奥で家光の寵愛を争った、
憎い恋敵の孫にあたる女。
桂昌院が感情的に嫌うのも無理はない。
それに、桂昌院はあまりに歳を取り過ぎた。
風呂を嫌い、好物の羊羹で機嫌が取れる程、もうろくしていた。。
綱吉自身が時期将軍候補を決めきれない理由もまた、
その桂昌院にあった。
幼い頃に母である家光を亡くしたことで、
代わりに父の桂昌院が綱吉にたっぷり愛情を注いでした。
麻疹にかかった時も夜通し看病し、
この世で綱吉のことを欲得ずくでなくいとおしんでくれるのは桂昌院だけであり、
その桂昌院に見捨てられたら、綱吉はこの世に何のよすがも無くなってしまう。
一国の将軍でありながら、もうろくした父親の機嫌を損ねる事が何よりも恐ろしい、
そんなあわれさを嘲っていた。
そして、その将軍への不満が、ぶつけられる出来事が起きる。
夜伽の際、寝所で命を狙われたのだ。
身柄はすぐに拘束され、内密に裁きを受けるのだが、
綱吉の見立てでは、おそらく綱豊方の間者だろう、と。
死ぬ前の恨み言。
それは綱吉自身が一番わかりきっていることだった。
綱吉は結局、この世で何ひとつ、後の世に継ぐ事ができなかった。
善い政を行う事もできず、世継ぎを残して徳川の世を盤石にする事もできず…。
将軍として、女として、人に望まれた事は何ひとつできなかった、と。
現実には、綱吉は別の意味で印象に残り、教科書には載っているんですけどね(笑)
そんな今にも命を絶ちそうな綱吉を支えたのは、右衛門左だった。
世継ぎのことなど考えず、初めて心から結ばれた瞬間だった。
と同時に、将軍としての呪縛を解かれた瞬間。
そして、綱吉はやっと決断し、時期将軍を綱豊にすることに決めた。
ただし、綱豊を綱吉の正式な養子とし、家宣という新しい名を与えた上で。
綱吉としては桂昌院にいくらか譲歩した形で決めたことだったが、
それでも桂昌院は納得せず、綱吉に縋り付いた。
その打掛を脱ぎ捨てる描写が、自由へと飛び立つ象徴のようで、とても美しい1コマでした。
自由になった綱吉が真っ先に会いに行こうとしたのが、右衛門左。
ところが、息を引き取っていた…。切ない。
右衛門左が死んだ翌年、桂昌院もその生涯を閉じた。
今や永光院だが、かつての師匠であった有功も、別れを告げにきた。
桂昌院のかつての名前、玉栄とは久しぶりに聞きました。
もうこの人しか玉栄の呼び名を知らないですよね。
そんな玉栄の娘である綱吉は、永光院にとっても娘のように思えたのでしょう。
また、かつての自分の役職である秋本と会い、それもまた思うところあったのだろうなぁ。
残された綱吉は、久しぶりに伝兵衛のもとへ。
その日は娘の松姫の命日だった。
伝兵衛はそれまでずっと、一人で松姫を弔い続けていたわけで、
やっと真の意味で、松姫の死に向き合うことができるようになったのだろう。
それから綱吉は、麻疹にかかり、危篤状態に陥った。
その病床に、命を狙いに来た者がいる。御台だった。
柳沢吉保によってその場は収められたのだが、
ここでも、誰もが皆、綱吉に惹かれていたことがわかる。
それは高まり過ぎて、人を狂わせてしまうほどに。
そうして、綱吉は死んだ。
それから1ヵ月後、御代所信平も綱吉と同じ麻疹にかかり、死去。
このため後世に御台所が綱吉を殺したという言い伝えが残る事になったという。
こうして、六代将軍家宣にうつる。
それと同時に、綱吉に仕えていた者たちが、江戸城を去っていく。
右衛門左の死後、大奥総取締を務めていた秋本惣次郎は、
家宣の側室・左京の方付きの御年寄である江島に引き継ぎ、
大奥を去った後は実家に戻り、静かな余生を過ごしたという。
結局この人が、一番うまくやれたような。眼鏡も作れたし。
無欲の勝利、ですかね。
小谷伝兵衛は綱吉の死後、出家し、
80歳でその生涯を閉じる事になる。
そして、柳沢吉保は、己の地位に少しも恋々とする事なく、
江戸城を去って隠居したと伝えられる。
一片の未練も無く…
将軍になった家宣が早速行ったことは、
悪評高き生類憐みの令を廃止したことだった。
しかしその家宣の治世もわずか3年で幕を閉じてしまうのだが、
その前に、少し遡り、まだ綱吉が亡くなる前、
後継者争いを繰り広げた、紀州と甲府の物語。
紀州徳川家では、三代藩主であった綱教が、その日体調が優れず、
嘔吐をしていた。
原因は食中毒であったと伝えられているが、その日のうちに急死してしまったのである。
紀州徳川家三代藩主の座に就いて、わずか7年であった。
綱教の急死によって四代藩主となったのは、
綱教の妹であり、吉宗のすぐ上の姉である、徳川頼職であった。
よほど気落ちしたのであろう、母・光貞は娘の後を追うように、
綱教の死後3ヵ月足らずで病没。
そして光貞の死の1か月後には、頼職が亡くなった。
紀州五代目の藩主には、吉宗が決まった。
この時わずか12歳!
そしてちょうど同じ頃…。
江戸では左京という男が、女たちの間で名を馳せていた。
体は売らない代わりに、酒の飲み競べで賭けを持ちかける。
左京が勝ったら一両、女が勝ったら左京の体を好きにしていい。
怪しげな風貌も相まって、魅了されては負けて、泣かされる女たちが続出した。
そして、いつしか怨みを買っていた。
たまたま通りかかった家宣の指示で揉め事の仲裁に入ったのが、
御小姓として仕えていた間部詮房。
この人がまた、顔立ちのハッキリした、意志の強い人でねぇ。
大奥を読んでいていつも思うのが、将軍や要職に就く女たちの顔。
これだけ登場人物が多いのに、全く重ならないどころか、
それぞれの人となりを良く表してる顔だな~って、いつも感心するのです。
このことが、左京が江戸城に入るきっかけとなる。
左京はやがて側室となり、家宣との間に一子を設けるのだが…。
今、大奥を読んでみると、これってある意味、
今で言うところのいわゆる「New Normal」に適応した例なのではないか、と。
疫病で男子が少なくなった中、男子の役目を女子が取って代わる。
だけど、絶対に代われないものがあった。
それが、女が子を産むこと。
ここがこの作品のミソなんですよね。
新井白石が、(こちらも女性の設定なのですが)、
武家の女子相続について当たり前のように思ってる者が多いが、
本来武家というものは、古来より武力に長けた男子こそが継ぐべきもの。
赤面疱瘡がなくなれば男子が増え、また元の社会に戻る。
だからこの男女逆転の状態は、かりそめのものであると。
政治的には家宣が、武家の相続は女子に限る、という綱吉が出したお達しを廃止した。
それは、いずれ戻りゆく将来を見据えていたからに違いない。
やっぱり生物学的な男女差にはどうやったって勝てないし、
このようなアンバランスな状態は、生態学的にも種として存続できなくなるのでしょう。
感染症がなくならなければ、元に戻ることはできない。
それまでどう凌ぐか、考えさせられる作品でもあるんだな、と思いました。
綱吉はもはや世継ぎを産めない身体になっていましたが、
毎夜、若い男と寝所を共にしていました。
でも、もう世継ぎが望めないことは、幕閣にも知れていること。
時期将軍は、甲府宰相である徳川綱豊か、紀州藩主の徳川綱教かで、割れていた。
その理由は、綱吉の父である桂昌院。
血筋からしたら、綱吉の姪である綱豊の方が将軍には近いのだが、
桂昌院から見たら綱豊は、かつて大奥で家光の寵愛を争った、
憎い恋敵の孫にあたる女。
桂昌院が感情的に嫌うのも無理はない。
それに、桂昌院はあまりに歳を取り過ぎた。
風呂を嫌い、好物の羊羹で機嫌が取れる程、もうろくしていた。。
綱吉自身が時期将軍候補を決めきれない理由もまた、
その桂昌院にあった。
幼い頃に母である家光を亡くしたことで、
代わりに父の桂昌院が綱吉にたっぷり愛情を注いでした。
麻疹にかかった時も夜通し看病し、
この世で綱吉のことを欲得ずくでなくいとおしんでくれるのは桂昌院だけであり、
その桂昌院に見捨てられたら、綱吉はこの世に何のよすがも無くなってしまう。
一国の将軍でありながら、もうろくした父親の機嫌を損ねる事が何よりも恐ろしい、
そんなあわれさを嘲っていた。
そして、その将軍への不満が、ぶつけられる出来事が起きる。
夜伽の際、寝所で命を狙われたのだ。
身柄はすぐに拘束され、内密に裁きを受けるのだが、
綱吉の見立てでは、おそらく綱豊方の間者だろう、と。
死ぬ前の恨み言。
それは綱吉自身が一番わかりきっていることだった。
綱吉は結局、この世で何ひとつ、後の世に継ぐ事ができなかった。
善い政を行う事もできず、世継ぎを残して徳川の世を盤石にする事もできず…。
将軍として、女として、人に望まれた事は何ひとつできなかった、と。
現実には、綱吉は別の意味で印象に残り、教科書には載っているんですけどね(笑)
そんな今にも命を絶ちそうな綱吉を支えたのは、右衛門左だった。
世継ぎのことなど考えず、初めて心から結ばれた瞬間だった。
と同時に、将軍としての呪縛を解かれた瞬間。
そして、綱吉はやっと決断し、時期将軍を綱豊にすることに決めた。
ただし、綱豊を綱吉の正式な養子とし、家宣という新しい名を与えた上で。
綱吉としては桂昌院にいくらか譲歩した形で決めたことだったが、
それでも桂昌院は納得せず、綱吉に縋り付いた。
その打掛を脱ぎ捨てる描写が、自由へと飛び立つ象徴のようで、とても美しい1コマでした。
自由になった綱吉が真っ先に会いに行こうとしたのが、右衛門左。
ところが、息を引き取っていた…。切ない。
右衛門左が死んだ翌年、桂昌院もその生涯を閉じた。
今や永光院だが、かつての師匠であった有功も、別れを告げにきた。
桂昌院のかつての名前、玉栄とは久しぶりに聞きました。
もうこの人しか玉栄の呼び名を知らないですよね。
そんな玉栄の娘である綱吉は、永光院にとっても娘のように思えたのでしょう。
また、かつての自分の役職である秋本と会い、それもまた思うところあったのだろうなぁ。
残された綱吉は、久しぶりに伝兵衛のもとへ。
その日は娘の松姫の命日だった。
伝兵衛はそれまでずっと、一人で松姫を弔い続けていたわけで、
やっと真の意味で、松姫の死に向き合うことができるようになったのだろう。
それから綱吉は、麻疹にかかり、危篤状態に陥った。
その病床に、命を狙いに来た者がいる。御台だった。
柳沢吉保によってその場は収められたのだが、
ここでも、誰もが皆、綱吉に惹かれていたことがわかる。
それは高まり過ぎて、人を狂わせてしまうほどに。
そうして、綱吉は死んだ。
それから1ヵ月後、御代所信平も綱吉と同じ麻疹にかかり、死去。
このため後世に御台所が綱吉を殺したという言い伝えが残る事になったという。
こうして、六代将軍家宣にうつる。
それと同時に、綱吉に仕えていた者たちが、江戸城を去っていく。
右衛門左の死後、大奥総取締を務めていた秋本惣次郎は、
家宣の側室・左京の方付きの御年寄である江島に引き継ぎ、
大奥を去った後は実家に戻り、静かな余生を過ごしたという。
結局この人が、一番うまくやれたような。眼鏡も作れたし。
無欲の勝利、ですかね。
小谷伝兵衛は綱吉の死後、出家し、
80歳でその生涯を閉じる事になる。
そして、柳沢吉保は、己の地位に少しも恋々とする事なく、
江戸城を去って隠居したと伝えられる。
一片の未練も無く…
将軍になった家宣が早速行ったことは、
悪評高き生類憐みの令を廃止したことだった。
しかしその家宣の治世もわずか3年で幕を閉じてしまうのだが、
その前に、少し遡り、まだ綱吉が亡くなる前、
後継者争いを繰り広げた、紀州と甲府の物語。
紀州徳川家では、三代藩主であった綱教が、その日体調が優れず、
嘔吐をしていた。
原因は食中毒であったと伝えられているが、その日のうちに急死してしまったのである。
紀州徳川家三代藩主の座に就いて、わずか7年であった。
綱教の急死によって四代藩主となったのは、
綱教の妹であり、吉宗のすぐ上の姉である、徳川頼職であった。
よほど気落ちしたのであろう、母・光貞は娘の後を追うように、
綱教の死後3ヵ月足らずで病没。
そして光貞の死の1か月後には、頼職が亡くなった。
紀州五代目の藩主には、吉宗が決まった。
この時わずか12歳!
そしてちょうど同じ頃…。
江戸では左京という男が、女たちの間で名を馳せていた。
体は売らない代わりに、酒の飲み競べで賭けを持ちかける。
左京が勝ったら一両、女が勝ったら左京の体を好きにしていい。
怪しげな風貌も相まって、魅了されては負けて、泣かされる女たちが続出した。
そして、いつしか怨みを買っていた。
たまたま通りかかった家宣の指示で揉め事の仲裁に入ったのが、
御小姓として仕えていた間部詮房。
この人がまた、顔立ちのハッキリした、意志の強い人でねぇ。
大奥を読んでいていつも思うのが、将軍や要職に就く女たちの顔。
これだけ登場人物が多いのに、全く重ならないどころか、
それぞれの人となりを良く表してる顔だな~って、いつも感心するのです。
このことが、左京が江戸城に入るきっかけとなる。
左京はやがて側室となり、家宣との間に一子を設けるのだが…。
今、大奥を読んでみると、これってある意味、
今で言うところのいわゆる「New Normal」に適応した例なのではないか、と。
疫病で男子が少なくなった中、男子の役目を女子が取って代わる。
だけど、絶対に代われないものがあった。
それが、女が子を産むこと。
ここがこの作品のミソなんですよね。
新井白石が、(こちらも女性の設定なのですが)、
武家の女子相続について当たり前のように思ってる者が多いが、
本来武家というものは、古来より武力に長けた男子こそが継ぐべきもの。
赤面疱瘡がなくなれば男子が増え、また元の社会に戻る。
だからこの男女逆転の状態は、かりそめのものであると。
政治的には家宣が、武家の相続は女子に限る、という綱吉が出したお達しを廃止した。
それは、いずれ戻りゆく将来を見据えていたからに違いない。
やっぱり生物学的な男女差にはどうやったって勝てないし、
このようなアンバランスな状態は、生態学的にも種として存続できなくなるのでしょう。
感染症がなくならなければ、元に戻ることはできない。
それまでどう凌ぐか、考えさせられる作品でもあるんだな、と思いました。
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