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アヒルと鴨のコインロッカー

椎名という大学生の「現在」の物語と、琴美という女性の「2年前」の物語が、
交互に語られる、カットバック形式の小説です。
当然ながら、2つの物語は無関係ではありません。
厳密に言うなら、「2年前」の物語がメインで、その物語の終わりに、椎名が途中参加している。
「ラッシュライフ」の時もそんな感じでしたね。
自分の人生では自分が主役だけど、誰かの人生では、自分が脇役になるって。
今回もそんな風に、最初はわずかな共通点から、徐々に2つの物語の繋がりが明らかになっていき、
「現在」と「2年前」の間を翻弄されながら、読み進めていくことになるのです。

「2年前」…
市内では、犬や猫がたくさん殺される事件が相次いでいました。
ペットショップ店員の琴美は、どうしても許せなかった。
ところがひょんなところから犯人グループに目をつけられ、逆恨みされてしまう。
たくさんの犬や猫が痛めつけられる描写は本当に耐えられなくて。
この本が発売された当時は私も猫を飼っていませんでしたが、
今となっては2匹の猫の飼い主なので、読んでいて本当に辛い。
野良だけじゃなく、飼い犬や飼い猫も狙われはじめ、
あちこちの家庭から連れ去られ、酷い方法で殺害されて、捨てられているとか。
もし我が家の猫たちがこんな目に遭ったら…と思うとゾッとするどころか、
気が狂ってしまうに違いない。

さて、琴美には、支えになってくれる人たちがいました。
一番の支えとなったのは、キンレィ・ドルジ
ブータンから来た留学生で、琴美の交際相手。
見た目はちょっと色の黒い日本人という感じですが、
思想や文化は全く違います。
だけど、この日本人にはない思想こそが、琴美の助けになり、刺激になったに違いない。
一番大きなものは、死生観。
生まれ変わりを信じるブータン人は、死を悲しいものとは思わないのです。
だからブータンにはお墓がなく、埋葬の習慣がない。
通常は水葬か火葬ですが、変わったところでは、鳥葬なんていうのもあるそうです。
これが琴美にはとても興味深いものだった。
悪い奴らとか、みんな鳥に食わせちゃえばいい。
これは間違いなんですけどね。
鳥葬は殺す手段ではなく、死んだ人の葬儀の方法だから。

ブータンは最近になってやっと日本でも「幸せの国」として有名になりました。
それまでは得体の知れない国だと思って、身構えてしまっていたのかもしれない。
日本人はどういうわけか、外国人との付き合い方が苦手な人が多いのです。
語学の問題があるのかな。
英語が喋れないからうまく付き合えないのか、
はたまたもともと外交的でない国民性だから、英語力が伸びないのか。
かく言う私もあまり英語を積極的に学ぼうとはしていません。
学校で習う程度は修得していても、それは決して生きた英語じゃない。
だからお互いに積極的にコミュニケーションをとる琴美とドルジには尊敬します。
琴美の英語力もスゴイけど、ドルジも一生懸命日本語を覚えようとする。

語学力というのは知識や論理ではなくて、音楽的な能力に近い、と琴美は思っている。
確かにそうかも。
いくらテキストの文章を読んでいても、耳で聞いて、口で唱えなければ、生きた言語は身に着かない。
私みたいな、「英語読めるだけ」人間になっちゃうよ。

かくしてドルジは、日本語を勉強して、完全に日本人になりきろうとする。
そもそも、ブータンで使っているゾンカ語は、日本語の源流かもしれない、と言われているくらいで、
日本人になる素質は十分にあります。

そのドルジに日本語を教えていたのが河崎。
一時は琴美と付き合っていたこともあります。
容姿に恵まれ、世界中の女性を自分のものにしようとする野望を抱いていました。
「もし、性的なものに真っ向から抵抗する男がいたら、やっぱり馬鹿だな、と思う」とまで言ってのける。
…いましたよね。過去作に。重力ピエロの春が。
ただしそれが仇となり、HIVウイルスに感染してしまう…。

そんな河崎はブータンに行ったことがあり、いい国だと言っていた。
ブータンが「幸せの国」だと言われるのは、宗教の力が大きいと思うのです。
仏教の国であるブータンは、その思想が若者までしっかり浸透している。
上述の生まれ変わりの思想もそう。
「悪行を積むと、いつかしっぺ返しが来る」
善いことも悪いことも、やったことは、全部自分に戻ってくる。
今は違っても、生まれ変わった後で、しっぺ返しがくる。
いわゆる因果応報。このシンプルな思想で、道徳が成り立っている。
日本人は報いをすぐに欲しがるけど、ブータン人は今じゃなくても良い。
生まれ変わった後に、それが返ってくるかもしれない。
だからブータン人は大らかで、この思想が幸福感を生み出しているとも言えるのではないか。

でも、善悪ってはっきり割り切れないことがある。正当防衛とか。
これに対して、琴美は面白い見解を示していました。
「神様には見て見ぬふりをしてもらえばいい」
ここで言う神様が何を指すのか、ピンと来ないけど。
だから代用品を使う。儀式とはそういうもの。

最後に忘れちゃいけないのが、琴美が働くペットショップの店長、麗子さん。
この人も琴美たちの物語を外から眺めながらも、2年前から現在に繋げるキーパーソンです。
表情のなさから感情がなかなか読み取れないのですが、
よく人のことを見て、起きている事柄を分析して、含蓄のあることをたくさん言ってくれるのです。
河崎が感染したHIVに関しても、避妊具だけで防げるのに感染してしまうのは、危機意識が薄いからだと。
自分だけは平気だという甘えがあったからと言い放つ。
かといって河崎を見捨てたわけではなく、河崎のことを心配していた。
きっと彼は、「他の女に感染させてしまったかもしれない」という恐怖に怯えているのではないか。

ここまで、琴美・ドルジ・河崎の「二年前」の物語を語ってきましたが、
それが2年後=「現在」の椎名にどうつながっていくのか。
3人と麗子さんはどうなっているのか。
椎名と琴美、交互に語られる物語が、徐々に一つの時間軸に収束されていくのは快感です。
しかも、各章の冒頭と終わりの文章が、「現在」と「二年前」で見事に対になっているのには圧巻です!


人間よりも動物の方が好き。
そういう人たちがこれまでの作品でも数々登場してきました。
陽気なギャングシリーズの久遠とか。重力ピエロの春も割とそうか。
中でも琴美はペットショップで働いているだけあり、その最たる人だったに違いない。
河崎も意外と、この類の人だったようです。
ちなみに147ページで、
「どういうわけか、シンナーの匂いがした。この近くに、壁に落書きをする人間でもいるのだろうか」
とあり、重力ピエロの春の気配が漂っています。

他にも他作品とのリンクはあって、椎名の叔母は、陽気なギャングシリーズに登場する祥子。
となると、その夫の響野は、椎名の叔父ということになります。
なんて世間は狭いんだ(笑)

伊坂作品では、音楽との関係があるもの多いのです。
この作品の場合は「ボブ・ディラン」。
折しも今年ノーベル賞を受賞しましたが、
ちょうど読み返していた私は、何とタイムリーな!と思ってしまいました。
作中で河崎は、ボブ・ディランのことを「神様の声」と評しています。
人を慰めるような、告発するよな、不思議な声。
ちょうどテレビから「風に吹かれて」が何度も流れてくる度に、耳を傾けていました。
そしてこのボブ・ディランが、物語の中に椎名を巻き込むきっかけになるのであり、
大事な役割を果たしているのです。

アヒルと鴨は似ているようで全然違う。
ざっくり言えば、アヒルは外国の鳥で、鴨は日本の鳥。
それはさながらドルジと琴美、またはドルジと椎名を指しているようで、
絶妙な表現だと思いました。
じゃあ「コインロッカー」は…と言うと、これもちゃんと作中に出てきます。
なるほど!と脱帽しきりでした。

理不尽なことに見舞われた時、その怒りや不安や恐怖をどうやり過ごしていますか。
琴美みたいにバッティングセンターに行くのはわかりやすい例。
動物園もいいなって思う。
動物たちの姿をのんびり見てると、確かに社会の喧騒を忘れられる。
でも一番の理不尽な目に遭ってるのは、そうやって柵に囲われてる動物たちじゃないかって。
河崎の夢のように、動物を逃がしてやった方がいいんじゃないか。

とまぁ、色々と考えさせられる作品ではあったのですが、
個人的にこの作品は、伊坂作品の中では珍しい悲劇の部類に入るんじゃないかと思います。
だけど、それをただ単に悲しいと思いながら読むのは違うんじゃないかな。
それこそ生まれ変わりという思想があったり、使命感があったり、
捉え方によって、今ある生のあり方が変わってくる。
遺された者にとっても、弔いの仕方に影響が出てきます。

現在の椎名にとっては突拍子もないことが次々と起きてくるけど、それら全てに意味がある。
全てが繋がった時、心に得られるものがあるはずです。



アヒルと鴨のコインロッカー (創元推理文庫)

アヒルと鴨のコインロッカー (創元推理文庫)

  • 作者: 伊坂 幸太郎
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 2006/12/21
  • メディア: 文庫


引っ越してきたアパートで出会ったのは、悪魔めいた印象の長身の青年。
初対面だというのに、彼はいきなり「一緒に本屋を襲わないか」と持ちかけてきた。
彼の標的は――たった一冊の広辞苑!?
そんなおかしな話に乗る気などなかったのに、なぜか僕は決行の夜、モデルガンを手に書店の裏口に立ってしまったのだ!
注目の気鋭が放つ清冽な傑作。
第25回吉川英治文学新人賞受賞作。
タグ:伊坂幸太郎
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