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蟲師 5

沖つ宮
「生みなおし」という不思議な現象のことを噂に聞きつけたギンコが、とある島にやってくる。
その島民たちが「竜宮」と呼ぶ海淵で命を落とした者は、
全く同じ姿でもう一度生まれてくるというのだ。
ところがそれは偶然起こったことではなく、島民が常習的に行っている慣わしだった。
ギンコが話を聞いた澪も、生みなおしをした者の一人。
澪の娘・イサナは、澪の母の生みなおしだという。

澪の母・マナは不治の病にかかり、父からの懇願もあって生みなおしを決意し、
望月の夜、生きている間に沈めた。
それはマナ自身も望んでいたことでもあり、
「私は消えてなくなるのがおそろしい…。またここへ戻りたいと思って眠るの…」と語っていた。
結局、澪は両親の懇願を受け入れ、生みなおすことに決めた。

そうして生まれた娘がイサナ。
娘は決して母親じゃないと割り切って生んだつもりだったが、
成長して徐々に生前の母の姿に似ていくにつれ、澪の心境は複雑だった。
この真相にギンコが迫る。

実際の生みなおしの方法とは、竜宮の奥から流れてくる光の粒を飲んで孕めば、
生まれてくる子は、そのひと月の間に海に沈めた者の姿になるというのだ。
ギンコがその粒を採取して解剖してみると…、何らかの蟲が造り出しているモノと判明する。
その粒の中には様々な生物の胚があり、その蟲は生物を杯の状態に戻す作用をもたらすモノと考えられると。
つまり、身体的には澪の母と娘は同一人物ということになる。
でも、イサナは澪に生み育てられた子に違いなく、澪の母にはなれない。
イサナにとって、澪は「母親」であることに違いないのだが。

現代医療でもできることではなく、できてしまってもそれは人の倫理を超えてしまっているので、
葛藤するのも無理ないのだろうなぁ。
この島では澪以外にも生みなおしは多く、
「失った愛しい者を取り戻せる島。望めば永久に別れずにすむ島」などとされている。
だけどいくら生みなおしたとしても、生前ともに過ごした時間は取り戻すことができず、
生みなおして戻る者と生きて待つ者の間には、常にタイムラグが伴う。
そう考えると、生前の姿のまま死んでいく方が幸せなのだろうか。

作者によると、この作品はサンゴの産卵がモチーフになっているそうです。
そこからSFにまで発展する、この創造力に脱帽しました。


眼福眼禍
ギンコの生い立ちもそうですが、眼の話が多いなぁと思っていましたが、
作者自身は失うのが怖いせいかも…と分析されています。
この作品もタイトルからお察しの通り、眼に関する話。

旅の途中、ギンコは路上で蟲の話を弾き語る女に出会う。
その女・周(あまね)は、かつて盲目だった。
蟲師だった父が盲目を治すために、「眼福」という視れば良くなるという幻の蟲を探し続けていたが、
とうとうその「眼福」を視たという男の目玉を手に入れ、持ち帰ってきた!
早速、目玉を解剖していると、中から蟲が飛び出していった。
父は山中そ探し回るも蟲は見つからず、やがてひと月も経った頃、周が目の中に異物感を覚えると、
周の眼が視えるようになった!
初めて「物が視える」ということを理解した周は、言葉にはできない感動を覚えていた。

周の眼は友人の誰よりも遠くまで見渡すことができた。
そして、時と共に視えるはずのない所まで視え始めた。
それは壁の向こうの丘を超え、その向こうの山脈、さらにそのはるか向こうの海まで、
部屋に居ながら臨めるようになった。
ところが、眼に飛び込んでくる見知らぬ景色や人々の暮らしに、眼が回ってしまっていた。
やがて安寧を取り戻すために、周は眼を閉じていることが多くなった。
すると近くにいる者の未来や過去が視えるようになり、自分の未来を視てくれと人が集まるようになった。
俗に言う「千里眼」といえば、わかりやすいでしょう。
けれど危険な未来が視えて忠告したとしても、その未来を変えることはできず、
友人と呼べる者はいなくなり、人を視ることをやめた。

けれどもやがて、瞼が透けて外が視えるようになり…
その頃、三日で戻ると言って出かけた父がそれきり戻らなくなった。
周は千里眼で父を捜すと、谷底に亡くなっている父の姿を見つけた。
周は弔いの旅に出て依頼、琵琶で父に聞いた話を弾き方って歩いているという。

こうして暮らしているうちにも瞼はどんどん透けていき、
とうとう自分の未来までも視えるようになってしまった。
その未来とは、もうじき周の眼は眼玉から抜け出て土に潜り、新しい眼玉が来るのを待つという内容で、
また周のような人生を歩む者が出ないように、眼玉を山の深くに埋めてほしいとギンコに依頼する。
自分も眼を失った経験があるせいか、ギンコは治療法を探ろうとするが…。

霊的なものも含めて、いろいろなモノが視えすぎてしまう人は疲れてしまうと聞いたことがあります。
私も視力が良くないので、視力矯正をしないで多くのものを見渡せたらなぁ…なんて思ってしまうのですが、
視えすぎるのと全く視えないのとどちらが幸せか?彼女の選んだ選択は??
こうして眼を失う怖さが描かれるのは、いろんな臓器・器官がある中でも、
眼は失ってしまった瞬間に、視えている世界も失ってしまうのが如実にわかってしまうから。
人がどれだけ視覚に頼っているかがわかります。


山抱く衣
骨董商がギンコに見せた羽織は、「羽裏に描かれた山から時折炊事をしている者がいるように見える」というもの。
炊事というのは喩えで、絵の山からたまに白いものが、まるで民家から出る煙のようにゆらゆらと立ち上っているという。
そこには、その羽裏に描いた幻の天才絵師の生涯が関わっていた。

その男・塊は少年時代、山からたくさん煙が立ち上っているのを見て、誰かが住んでいると思っていた。
姉は塊に、山の神様が炊事をしていると教えていた。

やがて塊は絵師を目指す為、里を出る。
姉は餞別に、山の蚕の紬糸を織り、山の草や木で染めた羽織を渡した。
もう戻ってこれなくても、この羽織を見たら里のことを思い出せるように。

なかなか才能が認められず、下働きしていた塊の絵が、ある時、師匠に認められた。
それが姉にもらった羽織の羽裏に描いた山だった。
それからは名を広めるためにも多くの仕事を引き受け、好評でその後の注文も殺到した。
寝る間も惜しむほどの忙しさで上り調子の頃、ものすごい地滑りで里が流されたことを小耳にはさむ。
一瞬不安がよぎったものの、もっともっと名を売る大事な時だと、里に帰ることはしなかった。
ところが絵に以前ほどの活力がなくなり、塊自身にもめまいが生じるようになった。
そして塊は里を懐かしみ、里に帰ることにする。

しかしその里は、すっかり変わってしまっていた。
三年前のひどい地滑りで家も畑も大方が流されてしまったそうだ。
その時、立派になった塊に里を助けてもらおうと文を出していたが、塊のもとには届かなかった。
それから父はその地滑りで亡くなり、姉もその翌年に子を産んでから亡くなり、その報せすらも届かなかった。
塊はあまりのことに愕然とした。
それ以来、塊は姿を消した。

ギンコが調べたところによると、羽織の中には「産土」という蟲がいたことがわかる。
それは土地により固有のものがいる泥状の蟲で、地表に出ると煙状になるそうだ。
里で大きな地滑りがあった時に大量の産土も一緒に流されてしまい、
その流された先でこの羽織を見つけて身を寄せた。
この羽織が、すべて山にあるものでつくられたものだったから。

産土は他の土地では生きていけないように、人も生まれた地の影響を受ける。
単純に里帰りによる精神的な癒しというだけでなく、よく地産地消とか、地元のものを食べた方が良いと言いますよね。
作中でも姉の子・トヨの成長が遅れてしまっているのは、
乳離れの頃に地滑りによって産土を摂取することができなかったからではないか、と。
改めて地元の魅力に目を向けてみようと思いました。

余談ですが、羽裏に表地より派手な絵を入れるという文化は、江戸の文化文政期に生まれたそうです。
いかにも江戸らしく、粋ですねぇ。


篝野行
とある里に新種の蟲が出たと聞き、調査にやってきたギンコ。
見た事のない草が生えてきて、山の木を枯らしているという。
早速、里の蟲師の野萩に話を聞こうとするも、既に調査は終えたと…。

野萩という名にはギンコも覚えがあった。
彼女の研究の写しをいくつか読んだことがあるらしい。
そこで、その新種の蟲の調書を見せてもらうことに。
すると野萩は明日、山ごとすべて焼き払うことを打ち明ける。
この決断に疑問を抱いたギンコは、野萩からこれまでの経緯を聞くことに。

異変が起きたのは二月前のこと。
畑にするために土地を開拓していると、大きな黒い岩が現れた。
当時は見慣れた溶岩石のひとつだと放置していたが、翌日、その岩の亀裂から草が生えているのに気づいた。
しかしその時は気にも止めなかったが、三日後、拓いたばかりの土地一面に、その草が生い茂っていた!
それはどれだけ刈っても抜いても、すべて根がつながっているらしく、すぐにまた生えてきた。
これは異形のモノ=蟲だと気づいた時にはもう遅く、花のようなものから毒を吐き、周囲の草木を枯らし始めた。
野萩も数々の駆除法を試したものの、有効なものは見つからないまま、今に至っているという。
だから山ごと焼き払おうとする野萩に対し、
正体不明の蟲相手にどんな影響が出るかわからないとギンコは異議を唱えるが…。

その晩、ギンコの反論も虚しく、野萩の指示で山に火がつけられてしまった!
そしてギンコの予感は的中した!!

その正体は陰火と言って、雨の日や寒い日に現れ、その見た目から、火と思って近づいてきたヒトの体温を徐々に奪っていく。
気づかず長く陰火にあたりすぎると凍え死ぬこともあるという。
実際には影火の中にいるヒダネという蟲が実体で、それはヒトの熱を吸って生きるモノ。
火にあたってぬるいと感じれば陰火であり、気をつけてさえいれば害を受けることはないという。

新種の蟲ではないとわかり、野萩に対処を任せ、ギンコは里を去った。
その後、草を断つことはできたが、死者が出て、
陰火で煮炊きしたものを食べて、腑を凍傷のように傷めた者が大勢いるという。
それだけでなく、野萩自身が、山を焼いた時に陰火を吸い込んでしまっていた!
最初は野萩の体温を少しずつ奪いながら潜んでいて、ずっと体が凍えるようだったが、やがて止まり、
今は代わりに草を吐くようになった。
それはヒダネが野萩の腑の中で芽を出したことを意味する。
体を乗っ取られる前に里を出て、死に場所を探そうとしていた。
その後の里をギンコに託そうとしていたのである。

ご承知の通り、蟲を寄せ付ける体質でひとところに留まれないギンコは、別の方法を考える。
そして考え出された方法とは、

火を使う唯一の動物であるヒト。
それ故にか、ろうそくのような灯火だったり、キャンプファイヤーのような燃え上がる火だったり、
火には何となく魅せられるものがあります。


暁の蛇
母親がひどい物忘れをするという少年・カジと出会う。
早速、家にお邪魔してみると、母は奇妙な恰好でカニを怖がっていた。
どうやらカニのことすら忘れてしまったらしい。

カジの母・さよは、去年の春ぐらいから、妙な忘れ方をするようになったという。
事の発端は、カジが母の好物の団子を買っていった日のこと。
母は団子を初めて食べたと言い、団子に関する記憶をすべてなくしていた。
また別の日には、あまり着ない着物の中でも、柄のあるものだけを忘れてしまっていた。
それから、くしゃみというものや妹のことまで忘れてしまっていた。
加えて、昼も夜のずっと起きて働いているという。

カジの協力で、忘れた記憶をピックアップしてもらうと、単純に遭遇する回数が少ないものから忘れていっていることが推測される。
それは影魂という記憶を喰う蟲の仕業。
影魂は半透明の黒い幕状をしていて、古い巨木の影に好んで潜み、同化している。
そこでヒトや動物が休むのを待ち、眠り始めると耳から脳に入り込む。
すると宿主はほとんど眠らなくなり、記憶を少しずつ失ってゆく。
ただ、影魂はやみくもに記憶を喰っているのではなく、宿主を死なせないよう、
日常の基本となっている事柄の記憶は、後に残してるんじゃないかと、ギンコは推測する。

ここで思い出すのは、記憶の仕組みのこと。
私のおぼろな心理学の知識によれば、記憶にはいくつかの分類方法があって、保持期間の長さによっても分類される。
こういう日常の出来事のようなものは「長期記憶」としてほぼ永久に保持されているのだけれど、
検索しやすいように、ある程度関連のある情報はまとまって符号化されていたり、
日常よく使う知識については、すぐにアクセスしやすいように、整理されてるって聞いたことがある。
それこそ、箪笥の抽斗のように。

そんな彼女が、もう長いこと帰ってこない夫のことを忘れなかったのは、
夫のことを忘れないようにと、夜中、機を織りながら、夫のことを思い出していたから。
こうして忘れたくないことは何度も何度も思い出すことが対処法になる。

原因もわかって前向きになったさよは、夫を探しに行くことにした。
ところが、その夫は、西の街で別の家族と暮らしていた…。
毎日、蔭膳を据えてまで夫の帰りを待っていたのに、切ない…。

忘れるということには治癒的な役割もあって、心の傷にフタをしてくれます。
幸か不幸か、影魂に宿られたのは、救いだったのかもしれない。




蟲師 (5)  (アフタヌーンKC)

蟲師 (5) (アフタヌーンKC)

  • 作者: 漆原 友紀
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2004/10/22
  • メディア: コミック



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