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グラスホッパー

伊坂さん初のハードボイルド小説とも言えるこの作品は、
物騒な人たちがたくさん登場します。
これまでの作品にも完全なる悪人が登場しては退治してきたのですが、
今回はその悪党たちの数がハンパない。
それもそのはず、殺し屋たちの世界を描いたものだからです。

鈴木という元教師で裏社会とは全く縁のなかった者が、
この業界に足を踏み入れるきっかけとなったのは、亡き妻の復讐を果たすため。
鈴木の妻は二年前、暴走する車に轢かれて死んだ。
その暴走車を運転していたのが、寺原の息子。
寺原とは「フロイライン(ドイツ語で令嬢の意味)」という会社の社長で、
この会社は非合法的なことに手を染めている。
寺原の息子は社員からも馬鹿息子と言われるほどどうしようもなく、
遊び半分で車を暴走させるなんてザラだった。
鈴木の妻はその犠牲になってしまったわけだが、
あろうことか鈴木は復讐を果たすために、この会社に入社してしまうのである。

契約社員として採用された鈴木が一か月の間にやらされたことといえば、
アーケード通りで女性を勧誘することだった。
関心を示す者がいれば喫茶店へ連れ込み、化粧品や健康食品の説明をする。
それはもちろん非合法的な品だった。

通行人に声をかけるのはいわば試用期間で、その教育係となっていたのが比与子という社員。
その日は次の段階に進むということで、鈴木に更なるむごいことを試させようとしていた。
というのも比与子は何となく気づいていた。鈴木の魂胆に。
教師だなんてまっとうな仕事をしていた人間が、突然こんな裏社会の仕事に就くはずがない。
何か裏があるのではないか?
もっと言えば、妻が寺原の息子のせいで死んで、復讐したいのではないか?
馬鹿息子があちこちで迷惑をかけてるのはしょっちゅうで、
鈴木のように復讐を企んで入社してくる人は幾人もいた。
だけど、馬鹿息子は罰せられることがない。
父親や政治家にえこ贔屓されているからだという。

そんな馬鹿息子に会える機会が突然訪れる。
鈴木の試用期間の仕上げに、寺原息子が立ち会うというのだ。
しかし、交差点から向かってくる時、寺原息子が鈴木の目の前で車に轢かれた!
現場を目撃していた比与子は、何者かに押されたせいだという。
「押し屋」という専門家がいると言うのだ。
それらしき人物が現場から遠ざかっていくので、鈴木に追うように命じた。

「押し屋」だけじゃなく、業界にはいろんな専門家がいるそうです。
例えば、ナイフ使いだとか、毒殺の専門家だとか。
変わったところで「自殺屋」なんてのもいる。
本当に人殺しの業界なんてあったらたまったもんじゃないけど。

「自殺屋」として知られるのが鯨。
彼と対峙した時、何か威圧的な力によって自殺させられる。
この力について鯨本人もよくわかっていないのですが、
鯨いわく「人は誰でも、死にたがっている」
これって人間の「死の本能」だと思うんです。
人は遅かれ早かれいずれ死にゆく。
タイミングや死因はそれぞれですが、死に向かって生きているのには違いない。
ただ、同じ死というゴールに向かって、
死に近づいていくか、それとも死にゆく運命に抗っていくか。
そのちょっとした切替スイッチのようなものがあって、
鯨の力は死に近づいていくようなキッカケを与えるものじゃないかと思います。
自ら死を選ぶ動物は、人間だけですからね。

そんな鯨が仕事を依頼されるのは例えば政治家など。
汚職事件の尻拭いに、秘書に自殺させる。
こうして他人の罪を被って自殺させられた者が33人。
鯨は今や、その亡霊につきまとわれていた。
それはきっと鯨の中の罪悪感に違いない。
過去を清算して、足を洗うべきだ。

ナイフを使った殺人を得意とするのが蝉。
岩西という男から仕事を斡旋されて実行する。
依頼された仕事をするが、殺す相手の情報は何も知らない。
ただ言われた通りにやればいいだけ。
しかしその様子はまるで操り人形みたいではないか。

これらの復讐や苦悩が、悪の権化のような寺原の息子を殺したとされる押し屋のもとに集まる、
そんなお話です。
構成としては、鈴木・鯨・蝉のパートがかわるがわる展開されて、
最終的には一つの結末になるという、スッキリした読了感が味わえるもの。
ただ内容が内容だけに、残酷な描写が多いので、苦手な人はいるかもしれません。
殺人のシーンなど、あえて冷酷な文体で書かれているのは、
殺し屋たちのリアルな視点なのでしょう。

伊坂作品では、実際の映画や音楽や小説が絡んでくるのも特徴で、
私もそれが好きだったりします。
今作で言うなら鯨が愛読している文庫本がドストエフスキーの「罪と罰」。
実際に作品中で題名が名言されてるわけではないのですが、
「逆さに読むと『唾と蜜』になる」と言う台詞でわかります。
こういうのをきっかけに読んでみようって思ったりするんですよね。

一方、劇中でバンバン引用されている作品もあります。
蝉が自分の置かれている状況に気付かされた映画。
ガブリエル・カッソ監督の「抑圧」。
仕事をした殺人現場でたまたまテレビで見た映画となっています。
そして、岩西が歌詞を引用しまくるミュージシャンのジャック・クリスピン。
これだけ引用されていながら、架空なんだそうです。
てっきり実在するものだと思ってしまったよ。

数々のジャック・クリスピンの語録の中でも、この言葉はグッときました。
「死んでいるみたいに生きていたくない」
鯨の話をした時にも少し書きましたが、動物は死に向かって生きていくのです。
だとしたら、行きつく先が決まっているなら、少しでも生き生きと生きていたい。
命を奪う殺し屋たちも、それは同じなのかなと思います。

象徴的なのは、蝉がしじみの砂抜きをするシーン。
水面に浮かんでくる泡は、しじみの呼吸。いわば生命のしるしです。
私もあさりやしじみの砂抜きをすると、つい見つめてしまいます。
その後、食べちゃうんですけどね。
「殺して食って生きている」という当たり前のことを自覚すればいいのに。
あまり神経質になりすぎると何も食べられなくなってしまいますが、
確か「いただきます」という言葉にはそういう意味が込められているのではなかったか。
こうして大事な生命をいただいて生きているのだから、一生懸命生きないといけない。

鯨が過去を清算するきっかけを与えたのが、ホームレスの田中。
田中?と聞いてピンと来る方も多いかもしれませんが、
これまでの作品でも、状況を変えながらも登場してきた「田中」です。
お約束の足が悪く、ぶつぶつ喋る。
その田中が鯨に言うわけです。
過去を清算するには、「対決ですよ」と。
その対決とは、鯨が十年前にやり残した仕事で、先を越された押し屋との対決を意味していた。

こういう文字通りの対決だけじゃなく、
生きていくってことは、その時々の「対決」なんじゃないかなって思うのです。
鈴木の亡き妻は、バイキングで一品ずつ向き合って、食べれるかどうかの対決をしていた。
これはさすがに極端だけれども、一生懸命生きるってそういうことなんじゃないかと思う。

田中といえば、デビュー作の「オーデュボンの祈り」から登場していますが、
そのオーデュボンでのお話がそのまま出てくるのです。
それは未来は神様のレシピで決まるということ。
ようするに、先のことは自分たちの範疇の外で、すでに決まっているということです。
これは喋る案山子の優午の言葉なのですが、「オーデュボン」でのお話は、
田中が読んだ本に出てくるエピソードということになっています。
もはやオーデュボン自体が劇中小説だったのか、現実なのかわからない。
もしかしたら今回の田中は、オーデュボンに登場した田中そのものなのかな!?

オーデュボンの優午はは、人々より高い位置から全体を俯瞰して見ているような印象がありました。
今作でその立場を担っている人がいるなら、押し屋の槿(あさがお)。
職業柄か常に冷静で、何事にも動じない。
自分のことを探りにきた、挙動不審な鈴木に対しても、どっしりと構えている。
そんな槿の語ったことが、今作の題名になっているのです。
それがグラスホッパー=バッタの話。

トノサマバッタは、密集したところで育つと「群衆相」と呼ばれるタイプになる。
そいつらは黒くて翅も長く、凶暴だ。
理屈としては、仲間がたくさんいる場所で生きていると、餌が足りなくなるから、
別の場所へ行けるように飛翔力が高くなるってことらしい。
バッタに限らず、どんな動物でも密集して暮らしていけば、種類が変わっていく。
槿いわく、人間も同じではないかと。
確かに通勤ラッシュなんて、不毛でしかないと思う。
だから私は普通の仕事はできないし、ラッシュなんて大嫌い。

この作品、結構「虫」がキーワードになっているかと思います。
冒頭から鈴木は昆虫のこをを考えていたのです。
学生の頃に聞いた大学教授の話では、これだけ個体と個体が接近して暮らしている人間は、
哺乳類よりも虫に近いんじゃないかと。
これが全ての伏線ですよね。
他にも、槿の次男の孝次郎が昆虫シールを集めていたり、
田中がかぶってるキャップに虫眼鏡のイラストが描かれていたり、
「昆虫」がらみのキーワードが出てくると敏感になってしまいます。
スズメバチなんていう毒殺専門の殺し屋もいるしね。

他の作品とのつながりといえば、こんなオマージュ的なものがありました。
蝉が途中で、チンピラのことを、土佐犬と柴犬にたとえているシーン。
これは陽気なギャングで、人を犬にたとえてたのと一緒ですね!

ところで、伊坂作品で描かれる家族像が好きです。
今作で言うと槿の家族かな。
槿の家族は、妻のすみれと、健太郎・孝次郎の2人の息子の4人家族という構成。
すごく温かくて、押し屋なんて物騒な世界に生きる人の家族とは思えない。
そんな家族も色々あるんですけどね。
家族にもいろいろな事情やかたちがあって、
私自身が不完全な家族構成だったので、家族像に憧れがあったり、
家族の一部が欠けても不幸なんかじゃない!って思いたいからでしょうね。

今回も作品を通して、いろいろ考えさせられたり、勇気をもらったりしました。
なんだかんだ言って、鈴木は頑張ったよ。結構頑張ったと思うよ。
それに比べたら私なんてまだまだ全然頑張ってない!
鈴木の妻の言う通り、「やるしかないじゃない」をモットーに、
やれることはやってみようと思う。



グラスホッパー (角川文庫)

グラスホッパー (角川文庫)

  • 作者: 伊坂 幸太郎
  • 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
  • 発売日: 2007/06/23
  • メディア: 文庫


「復讐を横取りされた。嘘?」
元教師の鈴木は、妻を殺した男が車に轢かれる瞬間を目撃する。
どうやら「押し屋」と呼ばれる殺し屋の仕業らしい。
鈴木は正体を探るため、彼の後を追う。
一方、自殺専門の殺し屋・鯨、ナイフ使いの若者・蝉も「押し屋」を追い始める。
それぞれの思惑のもとに――「鈴木」「鯨」「蝉」、三人の思いが交錯するとき、物語は唸りをあげて動き出す。
疾走感溢れる筆致で綴られた、分類不能の「殺し屋」小説!
タグ:伊坂幸太郎
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