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重力ピエロ

自分は何のために生まれてきたのか。
出生に秘密がある人こそ、この問いかけは重くのしかかる。
これは、そんな悲しい過去をもつ家族の物語。

泉水と春は2歳離れた兄弟。
弟の春の誕生には、悲しい事件が関わっていました。
泉水と春の母親は28年前、当時起きていた連続強姦魔に襲われ、
その時に身ごもった子が春だった。。。
犯人は未成年で、少年院送りになっただけ。
こういう時、普通は産まない選択をすることが多いだろう。
しかし、この夫婦は産むことを選択した。
しかも決断したのは、実際は血の繋がっていない父だったという。

家族は他の家族と同様に強い絆で結ばれ、
実際の血の繋がりなど関係なく育てられた。
だけど、そんな春の心の中には、モヤモヤとしたものが残り続けていたのだろう。

この気持ち、すごくわかるんです。
さすがに同じ境遇ではないけど。
私も親の離婚と再婚を繰り返し経験して、自分の存在意義がわからなくなった。
今もその答えは出てないんだけど。

まぁ私は生物学的な両親を疑う余地はないのですが、
でもやっぱり自分のルーツを知る上で、遺伝子はかなり気になるもの。
今では科学が進歩していろんなことがわかるようになったからね。
遺伝子にこういう風に書いてあるからとか、
やっぱり「蛙の子は蛙」じゃないけど、親から引き継いでる要素ってあると思う。
だから私も家庭を築き、維持していくことはできないんじゃないかと思ってます。

春はその生物学的な縛りから、一生懸命抗おうとしていたんだと思うのです。
遺伝子という生物学的事実は変えようがない。
だけど気持ちの面でどう折り合いをつけるか、それがこの記事の冒頭の質問になるかと。
その答えを探すために、春には尊敬する人物がいて、
そういう人たちの思想が、春の中の軸となっていました。

最も敬愛していたのがガンジー。
非暴力主義を唱えた、インドの政治指導者。
誤解されやすいのですが、非暴力は決して無抵抗ではない。
そこには人間の性善説が前提にあり、春はそれを信じることができなかった。
性善説など偉大な幻想でしかないと。
善を遥かに超える人間の悪とは、性だ。
まぁ、春の出自を考えたら、「性的なるもの」に、怨讐に近い嫌悪を抱くのも頷ける。
なので、『エロティシズム』などの著書で性の理屈を訴えたバタイユのことは嫌って当然。
同様に、性的な場面を描けば文学的だ、とする風潮も嫌う。
これには私も同感。
必要があって描かれる場面ならいいんです。
だけど、単なる雰囲気づくりとか、そこまで必要がない描写をするのは好きじゃない。

上述の非暴力主義と似たような意味で、ハムラビ法典も語られる。
「目には目を、歯には歯を」というやつですね。
これもよく誤解されやすいのですが、決して「やられたらやり返せ」という意味ではない。
本来は、「目を潰されたら相手の目を潰すだけにしなさい、歯を折られたら歯を折るだけにしなさい」という
過剰報復の禁止を述べている。
それが守られれば刑罰はもっとシンプルなのだが、実際そうはいかず、
今日のような社会になり、犯罪はなくならない。

ちなみに、春は徳川綱吉の「生類憐みの令」も好きだそうです。
犬が人間より偉くて何が悪い、と。
性をコントロールできないにもかかわらず、高等な動物を気取っている人間に、
春はうんざりだったんでしょうね。
これは、陽気なギャングシリーズの久遠が聞いたら喜びそうです。

春の生い立ちや心情など、何が彼に影響を与え、彼を動かしていたのか、
あれこれ考えだすとキリがない。
それほど重く、深い闇を抱えているのです。
心理学的な観点からも、個人的にも、春にはすごく興味があって、
春のことを知ろうとするほど、どんどん引き込まれてしまいます。
作品中に出てくる春のストーカーの「夏子さん」みたい。

でも、いろんな思想や論理を並べてみたところで、
春の心の葛藤を救うのは、案外なんてことない日常会話かもしれません。
春は家族の中で唯一、絵の才能がありました。
このことがまた春を悩ませるものとなってしまうのですが、
春が産まれた日は、ピカソの命日であり、
ピカソの生まれ変わりだと、父に教えられていた、と。

それこそ春の言うように、本当に深刻なことは陽気に伝えるべきなのだと。
私も親の離婚や再婚があった時、誰にも言えず、何事もなくふるまうしかできなかったな。
今だからこそ、色々冷静に言えるようになったけど。
さながら、ピエロが空中ブランコから飛ぶ時、重力のことを忘れているように。
これがタイトルの由来です。

話は戻りますが、春が生まれたことが正しかったのか、
本人がいくら悩んだところで、正解なんてない。
父親も正解なんてないことはわかってて決断したようです。
だけど、この勇敢な決断をした父親のもとに生まれて良かったんだと思う。
まともに就職もせず、不安定な生活をしていることにも、
それほど不満にも思ってないようですし。
「人生というのは川みたいなものだから、何をやってようと流されていくんだ。
安定とか不安定なんていうのは、大きな川の流れの中では些細なことなんだ。
向かっていく方向に大差がないのなら、好きにすればいい」
前の作品でも似たようなことを言っていた登場人物がいましたが、
私の背中を押してくれる人生観です。

その素晴らしい父親は今、癌と闘っていました。
縁起をかつぐのが好きな春は、あらゆることを試す。
孫悟空が桃を食べて不老不死になったからといって、桃を持っていったり、
すごく素直で純粋なんだな、と。
当の患者にとっては「気休め」でしかないのだろうけど、
その場限りの安心感が人を救うこともあると思う。
私事ですが、祖父が癌になりまして、手術をしたのですが、
私も何かと縁起をかつごうとしました。
どうすることもできないが故に、何かせざるをえなかったんでしょうね。

中でもこの縁起かつぎには、おっ!と思いました。
春が父に「53」とゼッケンの入ったトレーナーをプレゼントしたのです。
この「53」にはこんな意味がありました。
p53遺伝子というのがあり、細胞の分裂、修復をコントロールする機能を持っています。
正常であれば、細胞の増殖や異常を防いでくれるのですが、
癌患者の半分ほどに異常がみられる遺伝子だそうです。
実際、このp53の機能を利用した治療も行われているようです。
それを聞いてから、私も「53」という数字には敏感になりつつあります。

さて、このお話の舞台である仙台では、次々と放火事件が起こります。
放火現場の近くには必ずグラフィティアートが書かれていて、
何やら法則性があるらしい。
このあたりが、ミステリー好きさんにも興味持って読んでもらえる要素ではないかと思うのです。

ところで、「グラフィティアート」とは初めて聞きましたが、
よく街中で見かける、スプレーで描かれた落書きのことです。
春はそういう落書きを消す仕事をしているのですが、
絵の才能がある春なら、上手に描くこともできるのでしょう。
グラフィティアートが「アート」たるには、本来ルールがあって、
その中の一つに、
「自分より上手いグラフィティの上には描いてはいけない」というのがあるそうです。
一度だけ、春はそれを実行するんですけどね。

グラフィティアートは、誰にも見つかってはいけないので、素早く書くという側面もあるようです。
でも、それは果たして「芸術」なのでしょうか。
私には絵の才能は全くないのですが、
芸術とはやっぱり作品に対してじっくり向き合うものなんじゃないかと思うのです。
芥川龍之介の「地獄変」に出てくる、屏風絵を描いた絵師のようにね。

絵に関して、もうひとつ面白い観点の挿話がされています。
それは、ネアンデルタール人とクロマニョン人について。
学生時代の授業では、ネアンデルタール人がクロマニョン人に進化したと習っていますが、
実は別物で、勢力交代が起きたという説が最近ではあるようです。
その違いは、クロマニョン人は、芸術を愛したということ。
もしそうなら私は、絵に関してはネアンデルタール人の血を受け継いでいるのかな(笑)
本当にシャレにならないくらい絵が下手で、恥ずかしながら画家の知識もあまりないのですが、
これからは展覧会にも足を運んでみたいと思います。
ただ観るだけじゃなく、せめて画家たちが込めた魂も感じ取った上で鑑賞できるようになりたい。

春自身、遺伝子についてはかなり調べてはいましたが、
兄の泉水は、たまたま、遺伝子情報を扱う会社に勤めていたので、
遺伝子に関する知識はすぐに得られる環境でした。
かく言う私も遺伝子にはかなり興味があり、
理系の脳味噌があれば、研究したいなと思ったくらい。
なので、遺伝子に関する記述には、特に興味深く読みこんでしまいます。
遺伝子もといDNAは、
アデニン、チミン、グアニン、シトシンという4種類の塩基からできていて、
頭文字を取ってA、T、G、Cの文字列で書かれている、いわば人間の設計図。
その文字が、かの有名な二重螺旋上に書かれているのですが、
ところどころ梯子のようなもので繋がっている。
その対になった部分は、片方がAならもう一方はT、片方がGならもう一方はCという、
この組み合わせでしかない。
そして必要に応じて、三文字ずつの暗号が読み取られて、対応するアミノ酸が作られる。
厳密にいうと、このアミノ酸(タンパク質)を作る部分が遺伝子で、
そうじゃない暗号部分もある。
遺伝子ではない暗号部分でも、機能が分かっている部分もあるらしい。

こうして、確かに今、遺伝子の解読が進んでいて、
遺伝子疾患の原因遺伝子が次々と発見されている。
ならば、未来を決めるのはそのような遺伝子なのか?
遺伝子で全てが決まってしまうのか?
もちろん、そんなことはないはずです。
遺伝的要素もあるでしょうけど、環境による影響だって大いにある。
どこまで遺伝的な制約で、どこからが環境によるものなのか、
それは神のみぞ知ると言ったところでしょうか。

泉水がとある目的で、青葉山の橋に行った時、
突然、「未来は神様のレシピで決まる」という聞き覚えのある話をしてくる青年に出会います。
オーデュボンの伊藤だ!
お互い名乗らなかったけど、妙な島に行ったことや未来を予言するカカシの話をしてるところから、間違いないでしょう。
島のことやカカシのことは泉水に「寓話」だと片付けられてしまうのですが…。
それから、ある時には、市内で奇妙な宗教団体が、「未来が見える」教祖を持ち上げて、騒ぎになっていることも想起する。
これは察するに、ラッシュライフの高橋のことでしょう。
つまりはこの作品でもまた、「未来はどうやって決まるのか?」ということについて、
遺伝子という観点から新たなアプローチをしてみているのです。
結局また答えは出ず、人間に未来を完全に制御することなどできない、と実感するんですけどね。
ただ、いくつかの未来の中からある程度選ぶことはできるんじゃないかな、と思ってみたり。

ところで、細胞分裂にも寿命があり、それを表している部分もあるという。
それが「テロメア」。
染色体の両端にある、TTAGGGの繰り返し部分のことです。
私はどうしても自分の生に納得できず、行きついた答えとしては、
自分の遺伝子を後世に残さないこと。
いわば私自身が「テロメア」になるのが役目だと思っています。
私一人が遺伝子に抵抗したところで、種そのものに対しては影響ないと思うけどね。
でも、こういう選択をするというのも、自然選択の過程の一部だと思うのです。
ちなみに、癌細胞はテロメアが短くならず、永久的に分裂を繰り返していくそうです。

書き出しの「春が二階から落ちてきた」というのは、
伊坂作品史上に残る、印象的な一文だと思います。
泉水が幼少時に読んだ『山椒魚』や『走れメロス』の冒頭の文章を引用しているところからも、
そのオマージュなんじゃないかと思ってみたり。
『枕草子』に至っては、冒頭は「春」から始まりますしね。意味合いは違うけど。

個人的に、伊坂さんの作品の参考・引用文献も、可能な限り読んでみようと思いまして、
今ちょっとずつ読んでるところなんですけど、
この作品は非常に文献が多い!!
小説を読むのはでたらめを楽しむためじゃないか、と泉水に怒られそうですが、
決してあら探しをするのではなく、見識を深めるためです。
普通に勉強として読むと頭に入らないものでも、
不思議と好きな小説に関わりがあると思うと、難しい内容でもスラスラと読めるものですよ。
あと、「カラマーゾフの兄弟」もね。
これはもはや引用というよりも、この作品自体が伊坂版「カラマーゾフの兄弟」というか、
色濃い影響を受けているんじゃないか、と思うので。

そして、伊坂作品といえばおなじみの、他作品とのリンク。
先にもちょっとあげましたが、もっと大々的なリンクがあったのです。
泉水の会社は遺伝子情報を扱う仕事柄、探偵とも取引があるのですが、
泉水がある調査で依頼した探偵というのが、何とあのラッシュライフの黒澤!
堂々と同名で登場しちゃってます。
「ラッシュばかりの人生を行く人々を、羨ましがってたんだ」なんて、
ラッシュライフ読んだ人はニヤニヤしちゃいますね。
探偵はどうやら副業のようで、本業は相変わらず泥棒を続けているようです。
その証拠に調査を依頼された葛城の家でちゃっかり金を盗み、
前作と同様の手口で置き手紙をしていきました。
てっきりカウンセラーになったと思ったんだけどな。
奇しくも泉水にもまた、カウンセラーに向いてると言われてしまいます。

この作品は泉水が語り手とした文章になっていて、
現在おこっている出来事の合間に、
過去のエピソードや泉水の主観が挿話としてちょこちょこ挟まれる構成になってます。
なので、私のレビューも、何となくところどころに私事を挟んでしまってので、
読みづらい感じになってるかもしれません。
だけど、自分と重ね合わせたり、共感しやすい部分がたくさんあって、
読み返しながら電車で涙ぐんでしまいました。
少し歪んだ世界観かもしれないけど、自己分析をし、道を照らしてくれる、
私自身にとっても重要な1冊となりました。



重力ピエロ (新潮文庫)

重力ピエロ (新潮文庫)

  • 作者: 伊坂 幸太郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2006/06/28
  • メディア: 文庫


兄は泉水、二つ下の弟は春、優しい父、美しい母。
家族には、過去に辛い出来事があった。
その記憶を抱えて兄弟が大人になった頃、事件は始まる。
連続放火と、火事を予見するような謎のグラフィティアートの出現。
そしてグラフィティアートと遺伝子のルールの奇妙なリンク。
謎解きに乗り出した兄が遂に直面する圧倒的な真実とは――。
溢れくる未知の感動、小説の奇跡が今ここに。
タグ:伊坂幸太郎
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