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ラッシュライフ

日本語だと「ラッシュ」とカタカナ表記1種類ですが、
英語だとlash/lush/rash/rushと4通りの綴りがあり、それだけの意味がある。
人生もそれと同じで、人の数だけドラマがあって、それが同時に起こってる。
そのドラマは他人の人生に影響を与え、それが繋がっていく、というお話。

①画家の志奈子
②泥棒の黒澤
③信仰宗教団体信者の河原崎
④カウンセラーの京子
⑤リストラされ無職になった豊田

登場順に並べてみましたが、一見何の接点もなさそうな5人の物語が絡み合っています。
舞台は仙台。
志奈子は雇われた画商の戸田に連れられ、新幹線で仙台に向かっていました。
黒澤はいつものように、下調べ済みのマンションの一室に盗みに入りました。
河原崎は団体幹部の塚本が企てた「神の解体」に誘われ、実行していました。
京子は不倫相手の青山と共謀し、青山の妻を殺害しようと車で向かいました。
豊田は40社連続不採用となり、仙台駅周辺をあてもなくさまよっていました。

これらのことが全部同時に起こるのですが、厳密には1~2日ズレています。
ただ書き方にトリックがあって、最初はこの時差が感じられないように語られている為、
すっかり騙されてしまいます。
と同時に、脳内ではバラバラの物語を繋げようと働くので、どんどん物語に引き込まれていく…。
最後にはひとつの物語として繋がるのですが、それが最高の読了感を味わえるのです。
伊坂先生の作品にはよくある手法で、醍醐味だとも思っています。

この時間軸をズラすトリックが巧妙で、オシャレだなぁとすら思えてしまう。
ここからはネタバレです!!
いくつかヒントはあるのですが、一番大きいのは、
喫茶店に入ったことと、外国人が持っていたスケッチブックに「好きな日本語」を書いたこと。
これは、どのストーリーにも共通して出てきたことなのです。

開店したばかりの喫茶店。
河原崎は喫茶店で塚本と待ち合わせをする。
京子も青山と合流するまでの時間潰しに喫茶店を利用する。
二人ともオープン記念で一杯目が半額になる割引券が使えた。
豊田も喫茶店に立ち寄ったが、サービス券は使えなかった。
理由は時間差の問題で、サービス券の期限が切れていたからなのですが、
それに気づかない豊田が「無職の中年に対する差別だ!」と思いこんでしまうことに、読者も巻き込まれる。
このトリックは実に巧妙だなぁと思いました!

これだけじゃ気づかないので、もっと決定的なのがスケッチブック。
外国人女性がスケッチブックに言葉を書いてもらった順番をしっかり覚えていて、
最後にきちんと答え合わせができるようになっています。
それによると、河原崎→黒澤→京子→豊田の順に事が起こっているようです。
これは作中でも佐々岡が言っているように、
「一生のうち一日だけが自分の担当で、その日は自分の担当で、その日は自分が主役になる。
そうして翌日には、別の人間が主役を務める。
そんな風にリレーのように続いていけば面白いと思わないか?」と。
まさにこの発言をそのまま実行したような作品なんじゃないかと思ったのです。
もちろん当事者には自分が体験していることしかわからなくて、
他人にどれだけの影響を与え、どんな結末を迎えていくかなんて、それこそ神のみぞ知ることなのでしょうけど。
人生とは主役でもあり、誰かの人生の脇役でもある、
そう考えると自分の行動や起こった出来事全てが、意味のあることのように思えますよね。

さて、ここで急に現れた「佐々岡」という人物。
私は結構重要な人物じゃないかと踏んでいるのです。
偶然再会した黒澤とは友人。カウンセラーの京子は元妻。
黒澤に偶然再会できたのは、面識のない河原崎に突然マンションへ行くよう告げられたからでした。
そして、かつて戸田のもとで画商として働いていて、志奈子の絵も熱心に観ていた。
さっきの「リレー論」について、志奈子の絵を観た時にも口にしていた。
作品の内容など問わず金で何でもやり取りする戸田とは違い、売れなくても良い作品を扱おうとした佐々岡は、
戸田の画廊を辞めて独立しようとしたが、戸田の財力によって潰されてしまった。

ここにもまた、大きなテーマがあると思うのです。
人生は金や地位で決まるのか?
戸田だけでなく、佐々岡の元妻・京子もそういうタイプの人間だった。
ところが読んでもらえれば答えはすぐわかりますが、
そういう金や地位を重んじる人達が、次々とやり込められていくのがまた爽快なのです。
そこに無職の豊田が映える(?)のですが、実に清々しい展開!

これもまた、こうして物語を外側から読んでいるからこそ言えることであって、
自分の人生を生きる当事者としては、なかなか答えが出ないものですよね。
で、こんな世の中で何を頼りにして生きていけばいいのか?
これも、この作品における大きなテーマだと思います。
河原崎みたいに振興宗教に足を踏み入れる人もいる。
「未来が見える」という高橋が、宝くじを当てたり、殺人事件の犯人を見つけたりすることで、
「神」と崇められている団体ですが、こうやって奇跡然としたことが実現してしまうと、人は信じざるを得ないものなんだと。
こうして「神」が具現化されると、人は寄り添いたいと思い、また手放したくないとも思う。
ある意味、熱狂的だったとも言える幹部の塚本によって、バラバラ殺人をでっち上げられるほどに。
こうしてまた殺人犯をあてることができれば、「神」として存在し続けることができる。
河原崎は巻き込まれてしまった哀れな青年ですが、その混乱する頭の中でも、最後に縋ったのは自殺した父だった。
もともとは父の自殺が原因で、心の拠り所を求めて入会したというのに。

「未来が見える」というのは、人に多大な影響を与えるようです。
前作の「オーデュボンの祈り」もそうでしたが。
なんと佐々岡は、喋るカカシに会った青年のことを語っていた。
画廊に出入りしていた額屋のバイトで、「喋るカカシはすべてを見通して、いつも皆を見守っている」と言う彼は、
まさしく「オーデュボンの祈り」の伊藤のことだ!
前の作品が次の作品のリレーになる、これは今後の伊坂先生の作品にもちょくちょくあることなんですが、
その要素を見つけていくのも楽しみだったりします。
で、話を戻しますが、
「何か安心できる存在が自分を見ていてくれるのなら、おそらくこれほどまでに不安になることはないんじゃないか」と。
神が信じられないのなら、自分の心の中に生きる亡き父親とか、カカシのような象徴的なものだとか、
そういうものを支えにしていくんだろうな。
また、伊藤は「未来は神様のレシピで決まる」とも言っていた。
これは黒澤流に言うと「世の中には大きな流れがあって、巨大な力で生かされていることを理解すれば怖いものなどない」と。
こういう「生かされている」みたいな言い方をすると、自分の意志で切り拓くものだ!なんて反感を買いそうな発言ですが、
そういうことではなく、「人生は道ではなく、ルートも標識もない、茫洋たる大海原だ」と思うと、だいぶ気が楽になる。
確かに人生には正解も不正解もなく、自分ではどうにもならない流れっていうのはあると思う。
だけどその人生をどう納得して生き抜いていくか。
見えない未来にいちいち不安になってたらキリがないから、こういうところで折り合いをつけといた方が得策だと思う。
実はカウンセラーのスタンスってこういうことなんですよね。
「こうしなさい」と決まった道を示すのではなく、別の考え方や方向性を示すこと。
京子は「歪んで走っている軸を、騙し騙し、真っ直ぐにするだけ」だと言う。
言い方はともかく、あながち的外れでもないな、とも思いました。

こんなスタンスを持ちながら佐々岡を励ます黒澤は、よっぽどカウンセラーに向いていると思う。
泥棒という仕事柄、ターゲットとなる人の暮らしぶりから人物像を分析できるし。
実際、佐々岡が黒澤にカウンセラーとしての仕事をすすめていて、連絡先を教えたのが元妻の京子だというから、シャレた皮肉だと思う。
そのカウンセラーは自分の思っていたことと完全に裏腹な展開になり、ヒステリックになってしまうのですが…。

だいぶ語りすぎてしまいましたが、様々な人々の「ラッシュライフ」。
あなたにとって人生とは生き急ぐものですか?それとも芳醇な人生ですか?
あんまり力まずに読みながら、考えてみてください。



ラッシュライフ (新潮文庫)

ラッシュライフ (新潮文庫)

  • 作者: 伊坂 幸太郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2005/04
  • メディア: 文庫


泥棒を生業とする男は新たなカモを物色する。
父に自殺された青年は神に憧れる。
女性カウンセラーは不倫相手との再婚を企む。
職を失い家族に見捨てられた男は野良犬を拾う。
幕間には歩くバラバラ死体登場ーー。
並走する四つの物語、交錯する十以上の人生、その果てに待つ意外な未来。
不思議な人物、機知に富む会話、先の読めない展開。
巧緻な騙し絵のごとき現代の寓話の幕が、今あがる。
タグ:伊坂幸太郎
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